2016-02-18 23:55 | カテゴリ:美術

少しの間、記事の更新が滞っておりました。再開します。

さて、前回「象徴主義」について、導入としてヴェルレーヌの詩を抜粋しました。(ジャンルは「クラシック音楽」として。)

実は「象徴主義」芸術は、かなり長い時期と広い地域性を持つ芸術運動です。

その発端はさらに遡ってフランスの詩人ボードレールの詩集『悪の華』だとか、彼が影響を受けたゴーティエの詩だとか、アメリカのエドガー・アラン・ポーの小説だとか……でもまあ、19世紀前半と言っておけばおおよそ良いでしょう。

それは詩が切り拓いた新たな美観。そのインスピレーションは、言語の壁を越え、国境を越え、ジャンルを越えていきます。美術、演劇、音楽…と。

フランスのボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメらの詩を震源地として、象徴主義芸術はベルギー、イギリス、ドイツ、そして何よりロシアで20世紀始めに大きく花開きます。

そうした経緯から、象徴主義について、ここで解説しようとするのは非常に骨が折れるので、僕なりの視点から、象徴派の詩、象徴派の絵画、象徴派の音楽についての魅力を、気の向くままに語って行こうと思います。

まずは、手っ取り早くイメージの伝わる絵画から。

Degouve

この絵は全然有名ではありませんし、作者のドグーヴも、全然有名ではありません。
西洋美術についてまあまあ親しい自分でも、象徴主義についての論文を読んでいて初めて知りました。(一応、日本語Wikipediaの記事がありますので、興味ある方は是非。)

しかし筆者は去年、この絵をディスプレイ越しに見ただけですが、何年ぶりでしょうか。とても強い衝撃を受けました。この絵を見ていると、時間を忘れます。

感じる印象としては「聖性」と「邪悪」、「静謐」と「不穏」、「白」と「黒」、「光」と「影」、「秘匿」と「暴露」、「美しさ」と「歪さ」…など、「相反するものが融合している」というものでした。

ここには、前回の記事のヴェルレーヌの詩が思い起こされます。

心して言葉を選べ
「さだかなる」「さだかならぬ」と
うち交る灰いろの歌
何ものかこれにまさらん。

(前回書きませんでしたが、続きは、こうです。)

それというのも我々はニュアンスを望むから、
色彩ではない、ただニュアンスだけを!
ああ!ただニュアンスだけが
夢と夢を、フルートと角笛を調和させる!



いかがでしょうか?

この絵に通じる美観だと思います。

そして、もう一つのポイントは、絵に実際に描かれているのは室内空間と具体的なモノだけなのに、見る側には、それらとは全く違う「何ものか」が、ビシビシと伝わってくるという点です。

そしてそれは「抽象的」で、「主観的」な、「予感」や「暗示」に近いものだということです。

…つづく


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