2016-02-08 15:41 | カテゴリ:未分類

ここのところの記事の内容が、急に数学の授業みたいにカチコチしてきたので、少し立ち止まって考えてみましょう。

「そもそも、音楽に数学を見出すことに、意味はあるのか?」

という問いです。
「意味があるのか?ないのか?」という問に対して、「ない」と答えることは無謀なことなので、何かしらの意味はある、としておきます。

もう少し具体的な問にしてみましょう。
「数学は、音楽の享受をより良くするのか?」

この問に対しては、筆者は「必ずしもそうではない」と答えます。

しかし、「数学は、音楽の享受をより深くするか?」

この問に対しては、筆者は「そうだ」と答えます。

「音楽」というものを「音の体系化」と捉えるならば、音楽と数学は切っても切れない縁にあります。

古代ギリシャの数学の巨人「ピタゴラス」は、数学の研究のかたわら、音の「協和音程」と「不協和音程」の違いを解き明かしました。2つの弦の長さが単純な「整数比」であるほど、音は協和するということです。

音楽は数学的な調和を持っているから美しいのです。

しかし、こんなことは知っていようがいまいが、耳で「協和」か「不協和」かは、直感的に理解できるのです。
音が空気の微細な振動であることを知らなくても、その波がサイン波なのかコサイン波であるかを知らなくとも、人間は直接、音の印象として聴き分けられます。

だからといって、音楽を単に「心地良い」「耳障り」「うまい」「へた」「テンション上がる」「悲しくなる」…といった簡単な言葉だけでは、音楽を理解し、語るのは難しくなります。

その音楽がどうやって出来ているのか、なぜ良いのか?という理解と、さらなる語らいのためには、「数学という言葉」を持っていた方が有利です。

音波の分析にも使われる「フーリエ変換」などで有名なフーリエの言葉に、こんなものがあります。

数学は、われわれの感覚の不完全さを補うため、またわれわれの生命の短さを補うために呼び起こされた、人間精神の力であるように思われる。

これを音楽に当てはめてみましょう。

音楽は、人間の感性に直接訴えるという尊いものではありますが、人間の感覚というものは不完全で、個人差があり、偏っているものです。
音楽は「普遍的であること」によって、価値が高まるというという側面もあります。
その「普遍性」の代表格として、「数学」があるのです。

数学の歴史は古く、そこから着実に、発見と発展が積み重ねられ、今では人類の最も大きな財産となっています。
あらゆる分野の学問が、数学の力を借りてさらなる進化を遂げています。

数学は音楽を囲い込む「鉄の牢」ではなく、音楽のさらなる進化の「土台」になり得ます。

その土台から、人間の感性はさらに飛躍し、花開くのです。

自分も数学に強い人間ではないので、これから少しずつ勉強していきたいと思います。

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