2016-02-04 03:18 | カテゴリ:クラシック音楽

クラシック音楽を学ぶ者にとって、一つ大事な感覚を身につける必要が出てくる。

「和声感」の習得というやつだ。

正確に言えば、18〜19世紀の西洋芸術音楽における「機能和声法」という和音のルールにおける、カデンツや、各和声それぞれが持つ性格や、指向性のパターンというものの常識を会得しなければならない、ということだ。

いくら「エリーゼのために」や「幻想即興曲」をゴリゴリ大音量で速弾きし、クラスの皆を驚かすことができたとしても、「和声感」の情緒なしには、クラシック音楽を演奏していることにはならない。

しかし、この「和声感」。とても厄介なモノなのだ。

感覚的に、表現できてしまう人がいる。
一方で、感覚的に、どうしても把握できない人もいる。

また、感覚的にできたとしても、理論が把握できない人がいる。
一方で、理論的には把握できていても、感覚的に表現できない人がいる。

そして先生が教える方法としては、「おおざっぱに感覚的に訴える方法」と「正確に無味乾燥な記号として示す方法」という、両極端なものに限られてくる。記号を教えるのは、大きくなってからでないと難しい。

低学年に和声感を教える時の、一般的で感覚的な説明は、こうだ。

「この和音、とっても〈どこか出かけたい〉ってキラキラするような気分の和音だよね」
「そういう気分で弾いてみよう!」

「こっちの和音は、〈もう疲れたから、家に帰りたい〉って感じの和音だよね」
「そういう気分で弾いてみよう!」

「この和音は、家に帰ってきて〈ほっ〉とした和音だよね」
「そういう気分で弾いてみよう!」

…いかがだろうか?
少しニュアンスが違うかも知れないが、どこかで聞いたことあると思う。

ある程度、素養のある子なら、この説明で充分だ。

しかし、そんな子はむしろ少数。
多くの先生は、「弾くときの気分だけ変わっていて、音の表現に何ら反映されないじゃないか」という子のパターンに遭遇するだろう。

ここからたいてい、先生のイライラが募り始め、具体的な指導に切り替えるも、全然うまく伝わらず、さらにイライラし始める。
生徒も、何のドコを一体どうすれば良いのか分からなくなり、途方に暮れる。

低学年ならそれでも楽しくて、曲も平易なので良いかもしれないが、良い年齢になってくると、その訳のわからなさがイヤになり、クラシック音楽に嫌気が差し、受験勉強とともにピアノから離れていく、というパターンが出来上がる。

筆者自身も、中高生時代、課題曲が複雑なものになり、転調が頻繁に出てくるようになると、先生から「和声感がない」と注意されていたものだ。

感覚と理論を結びつけるような、有効な良い説明が無いものか…と、ずっと考えてきた。

大学の音楽理論の講義で、〈家にいる〉のが I の和音、〈出かけたい〉のがIVの和音、〈帰りたい〉のが V の和音だと頭の中で分類されたところで、「それは何故なのか?」「それが何なのか?」「もっと有効な説明があっても良いんじゃないか?」という思いは強くなるばかりだった。

「それが何故なのか?」について自分で考え始めたのは、卒業してずっと後だった。

自然倍音が、その手がかりになりそうだった。


つづく…
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