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2016-01-31 01:50 | カテゴリ:読書

ふと思い出したように、『ノルウェイの森』を読んだ。

2年ぶり2回目。

空気感はかなり覚えてるし、読み進めると記憶が「ああ、これ知ってる」と言ってくる。

でも、とても新鮮に読むことができた。
時系列が頻繁に錯綜するあの小説は、おおまかなストーリーが解っていても、頭で話の流れを記憶することが難しいのもあるだろう。

そして、巷で噂の村上春樹の作品に初めて触れた2年前の1回目よりも、より良さがわかった気がする。

1度目は、「うわなんだこの文章まわりくどい」「なんだこの主人公、受動的すぎ」「描写がいちいちくどい」などと、特徴が全て個人的な苦手意識に直結していたのだが…

2回目は、むしろそうした特徴的な描写を、肯定的に、舐め回すように、共感し、心で反駁しながら読み進めた。
「自分も、いろいろ失っていく中で、変わってしまったんだな」と、しみじみ。

さて、村上春樹の作品の中には、実在の著書や絵画、クラシック音楽、ジャズ、ポピュラー音楽の題名がイヤというほど登場する。『ノルウェイの森』も然り。

まず題名からしてそうだ。The Beatles のNorwegian Wood。この楽曲は、作中で何度か登場する。

しかし、個人的にはこの楽曲と、この作品の空気感は、頭の中でちっとも一致しない。

代わりに、この作品の中に立ち込めている空気感を表した音楽として、個人的に挙げるのは、
ブラームスの『交響曲第4番 ホ短調 作品98』だ。

まずこの交響曲は、作中のわりと序盤に登場する。
主人公との「直子」のデートで、その演奏会を聴きに行く、というもの。

…しかしこれは実現されない。この未遂そのものが、その後の展開の暗示のように思えてならない。

そしてこのホ短調の第1楽章の、秋の感傷性を思わせる空気感が、作品の情緒に合致している気がする。

人生の一番輝かしい時期が過ぎた後の、喪失感を孕んだ、最も美しい時期。



作家自身は、やたらとあちこちでシューベルト(特にピアノソナタ第17番D.850)を、まるで我が娘のように推してくる。
繊細というより敏感に過ぎる描写や、読後のなんとも言えないモヤモヤ感などは、シューベルトにとても近いと思う。そして、『ノルウェイの森』の主人公ワタナベやその他の登場人物が抱える、救いようのない「疎外感」「虚無感」は、シューベルトの持ち味の一つだ。

しかし、ブラームスのような、長々と説明して、「大きくなったらいずれ分かるようになるから、長くなるかも知らんが、わしの話を聴いておきなさい」という態度や、「循環形式でテーマを忘れたころに、それとなく示しておいたから、それが分かるまで聴きなさい」という姿勢のようなものは、シューベルトにはあまり見受けられない。



主人公ワタナベは読書家で、作家と同じく、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を愛読している。

ちょうど今、その村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読み終えたので、次回レビューしたい。


(ちょっと最近、脳がインプット型になっているため、記事に今までのような一貫性と完結性が無くなっています。ご了承下さい。)

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