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2016-01-23 20:47 | カテゴリ:アニメ音楽

この『破』に関する最初の記事に書いたように、新曲「The Final Decision We All Must Take」は公開前のPVのBGMとして、前もって多くのファンの耳に刻まれているものでした。分厚いストリングスとコーラスの、シリアス燃えサウンドには心が踊ります。調性はト短調。弦も管も音が伸びます。

多くの人は、劇中でそれが流れた瞬間「うお、ここでか!?」と「キターーー!」という、意外な驚きと歓迎の入り混じった感情を抱いたのではないでしょうか。

というのも、旧TVシリーズには登場しなかった新キャラが、旧TVシリーズには存在しなかった裏コード「ザ・ビースト」とかいう、何かよくわからないモードにしたせいで、2号機が見たことない姿になって、戦闘を始めるからです。

「The Final Decision We All Must Take」は逆に、そんな新規設定でポカーンとなる旧ファンの心を、引き留めて劇中に集中させる効果があったのでは、と思うのです。

既に耳に刻まれている音楽を流すと、脳は「ああ、コレ知ってる」と安心するとともに、次の音の展開を予想できるので、情報処理を聴覚から視覚のほうへと集中させることができます。

なので、耳からは「燃える!」という感情だけが入ってきて、劇中の死闘に集中し、それを応援することになると思うのです。

現代の多くのTVアニメにおいて、最終話のクライマックスで1期のOP曲なんかが流れてくると、無条件で燃えてしまう、あの現象です。

しかし、『破』は、その手法をかなり前倒ししているので、「え!ここで!早くね!?」という驚きもあったわけです。

そして劇は、数々のイレギュラーはあったものの、旧TVシリーズと同様やはり主人公シンジと父ゲンドウの「再契約」が行われ、アニメ界の伝説的なシーンへと突入します。

作画に関しては、その神がかったTV版のものを踏襲しているで、グレードアップは音楽にかかっています。
もともと映像の力で持って行ってたので、TV版のBGM自体は、不安感を煽るものの、さほど印象深いものではありませんでした。

では新劇の新曲「Carnage」はどうだったかというと、その作画に対抗するほど迫力があり、それでいて融合しています。まず曲の入りからして素晴らしく、一気に画面に惹きこまれます。
そして何よりタイトルが虐殺を意味するように、言い知れぬ敗北感と恐怖を感じます。旧来のファンでも、「あーこっから展開おんなじかー」とか「この先の展開、どうなるのかなー」なんてことを考えられなくなるほど。

調性はニ短調(Dマイナー)。前の記事で述べた「In My Spirit」と同じ調です。その発展形という感じでしょうか。
劇中で流れるのは1分半にも満たないのですが、シーンと共に物凄い密度で、一気に緊張感を高めてきます。
特に、電源が切れる前の高まりは素晴らしいですね。

さて、ここから新劇ではすぐさま覚醒し、TV版からお馴染みの「Sin From Genesis」(旧「The Beast II」)が流れると、ひと安心です(笑)

調性はホ短調。「Keep Your Head Above The Mayhem 」と同じですね。仕返しでしょうか。

音楽は新録音だけあって、原曲の雰囲気そのままに、オーケストラの響きが若干瑞々しくなって、電子音なども加えれれてます。安心して燃えられます。そこに、やったらスケールアップした映像が乗っかります。
やたら第10の使徒が強かった分、それを蹂躙する初号機の強さには震えざるを得ません。もちろんシンジさんにも。

ものすごいカタルシスです。

さて、ここからが問題。
今作最後のBGMは、『翼をください』のカヴァー。
これは安心できません

なぜかって、それは3号機の時のトラウマが記憶に新しいからです!
くそう、庵野監督め!と心の中で叫びました。

しかも、このピアノの前奏は、なんだか旧劇の「Komm, süsser Tod〜甘き死よ、来たれ」を想起させます。
気が気じゃありません。

(そして個人的には、不肖にも林原めぐみ閣下の歌の、なんともいえない脱力感と音程が気になってしまったのですが、どうやら本人の意向に沿わない形での録音を庵野さんが無理に使用したそうなので、納得しました。)

さて、このシーン、いくつか不思議な事があります。

それは、音的には先程までの怒涛のシーンとは比べ物にならないほど脱力しているのですが、緊張感が保たれていることです。緊張感を保ったまま、耳の休憩が可能になるのです。

SE(効果音)も、意図的に抑えられています。
(DVDの特典映像のひとつに、野口透によるこのシーンの効果音ありバージョンが含まれているので、本編では意図的に効果音を廃しているのでしょう。)

要するに、ここは「映像」と「演技」(つまりシンジさん)の凄さに、集中することができるのです。

救出に向かうシンジさんの必死な姿は、その「映像」と「叫び声」だけで、凄まじい臨場感を持っているのです。
このシーンに、凝った音楽や効果音は不要だということです。

この後のサードインパクトに向かうシーンにしたってそうです。
神に近い存在となった初号機の、エネルギーの高まりを示すのに、音楽や効果音の手助けを借りていません。
しかし、それで圧倒されてしまいます。完全なる、映像の勝利です。


個人的には、こうしたところに、新劇場版の面白さがあると思うのです。
新劇場版における鷺巣さんの音楽による貢献は素晴らしいものがあり、映像に華を添えていることは確かなのですが、それだけではないということです。
時に庵野さんが映像や演技にフォーカスするため、音楽を退けることもあります。

エヴァの「こういうシーン」を「こう魅せたい」という情熱と意欲は、おそらく沢山のスタッフたちが、こぞって主導権をもぎ取るつもりで取り組んでいるのでしょう。

なので、DVDを繰り返し見た後、「ミュートにして映像だけ」または逆に「画面をオフにして音だけ」にしても充分に楽しめるし、逆に、今まで情報過多で見えてこなかったところが、見えるようになってくることもあります。

作り手の、そうした愉快な情熱の詰め込みが、悲劇の上で行われるというギャップによって、エヴァンゲリオンの根本的な熱さ、ベーシックなクールさ、本質的なギャグテイスト、逆説的なシリアスが生まれているのではないでしょうか?


これが果たしてエヴァだから可能なことなのかは、今年の夏公開予定の『シン・ゴジラ』を見れば分かると思います。
庵野&樋口&鷺巣によって、ゴジラというエンターテインメントは、どう料理されるのでしょうか。
個人的には期待よりも、いろいろな面で不安しかないのですが(笑)、見届けようと思います。

次回からは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の音楽を中心にお送り致します。

それでは。
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