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2016-01-20 20:34 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、ここで一息。

ここ一連の記事で紹介している鷺巣詩郎さんの楽曲が、どのようなスタンスで作られているのか?
という点について。

角川書店刊『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 ENTRY FILE I 』(2007)のp.045に、鷺巣詩郎さんへのインタビューが掲載されています。そこから一部を引用させて頂きますね。

心がけていることは、庵野さんという人の頭を割って脳みそに耳を当ててどんな音楽が聞こえてくるんだろうということ。総監督が何を考えているか、頭の中で何が鳴っているかということです。「ヱヴァンゲリヲン」の音楽をつくるということは、庵野秀明という監督でありアーティストであるその人に曲をつけるという感覚に近いですね。加えてエンターテインメントであるという心構えも忘れないようにしようと。

…これは、とっても丁寧でありがたい、正確な説明だと思います。

『破』での第8使徒戦において「Destiny」「Fate」という、どちらも運命を意味する2種類の新曲が用いられますが、どちらもイ短調で統一され、それぞれ独立した楽曲と言えず、劇中のシーンに完全に沿う形で繋げられた、一連のBGMとして機能しています。そのサウンドは、クラシック調の分厚いオケとコーラスによる壮麗なもので、シーンの映像をこの上なく強化しています。

しかし、それと対照的に、英語歌詞の内容はとても頼りないものです。


それは、多くのロボットアニメの主人公像に反して、戦いに臨むための確固たる動機を持たない少年シンジの、内面の葛藤の吐露のようにも聞こえます。別にエヴァに乗りたくて乗っているわけじゃない…しかし、それ以外の生き方も見当たらない。

…というのは同時に、このアニメの創造主である庵野秀明の、潜在的な不安にも重なるものでもあると思います。cf.『Q』で新たに登場する「エヴァの呪縛」という言葉、設定の存在。(『Q』の製作終了後、彼は酷い鬱状態へと突入します)。

このシーン、ものすごいエンターテイメント性をもったスペクタクルなんですが、間接的に裏の顔も見せているわけです。
ただし、直後のシーンで主人公は、ほんの些細なことに大きな喜びを見出し、その表と裏のギャップは解消されます。
それをきっかけに周囲の人間関係も良好になり、中盤は、「こんなのエヴァじゃない!」と思わせるような学園(ラブ)コメ風な空気と、ポカポカな音楽に満ちていますが…

その一方で庵野秀明というダーク「デウス・エクス・マキナ」は舞台裏で、静かに歯車を回し続けるのです。
そして鷺巣詩郎は、その擬似神の、赤裸々な意志と計画を読み取り、エンターテイメントという福音で、観客を振り回しているのです。
(おそらく、旧TVシリーズ&旧劇エヴァの音楽の蠱惑的な「毒気」は、そのエンターテイメント性を抑えたが故の、ダダ漏れした神の意識だったのでしょう。)

さて、今回はここまで。
次回は『破』の後半の音楽についてです。

…つづく
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