2016-01-31 01:50 | カテゴリ:読書

ふと思い出したように、『ノルウェイの森』を読んだ。

2年ぶり2回目。

空気感はかなり覚えてるし、読み進めると記憶が「ああ、これ知ってる」と言ってくる。

でも、とても新鮮に読むことができた。
時系列が頻繁に錯綜するあの小説は、おおまかなストーリーが解っていても、頭で話の流れを記憶することが難しいのもあるだろう。

そして、巷で噂の村上春樹の作品に初めて触れた2年前の1回目よりも、より良さがわかった気がする。

1度目は、「うわなんだこの文章まわりくどい」「なんだこの主人公、受動的すぎ」「描写がいちいちくどい」などと、特徴が全て個人的な苦手意識に直結していたのだが…

2回目は、むしろそうした特徴的な描写を、肯定的に、舐め回すように、共感し、心で反駁しながら読み進めた。
「自分も、いろいろ失っていく中で、変わってしまったんだな」と、しみじみ。

さて、村上春樹の作品の中には、実在の著書や絵画、クラシック音楽、ジャズ、ポピュラー音楽の題名がイヤというほど登場する。『ノルウェイの森』も然り。

まず題名からしてそうだ。The Beatles のNorwegian Wood。この楽曲は、作中で何度か登場する。

しかし、個人的にはこの楽曲と、この作品の空気感は、頭の中でちっとも一致しない。

代わりに、この作品の中に立ち込めている空気感を表した音楽として、個人的に挙げるのは、
ブラームスの『交響曲第4番 ホ短調 作品98』だ。

まずこの交響曲は、作中のわりと序盤に登場する。
主人公との「直子」のデートで、その演奏会を聴きに行く、というもの。

…しかしこれは実現されない。この未遂そのものが、その後の展開の暗示のように思えてならない。

そしてこのホ短調の第1楽章の、秋の感傷性を思わせる空気感が、作品の情緒に合致している気がする。

人生の一番輝かしい時期が過ぎた後の、喪失感を孕んだ、最も美しい時期。



作家自身は、やたらとあちこちでシューベルト(特にピアノソナタ第17番D.850)を、まるで我が娘のように推してくる。
繊細というより敏感に過ぎる描写や、読後のなんとも言えないモヤモヤ感などは、シューベルトにとても近いと思う。そして、『ノルウェイの森』の主人公ワタナベやその他の登場人物が抱える、救いようのない「疎外感」「虚無感」は、シューベルトの持ち味の一つだ。

しかし、ブラームスのような、長々と説明して、「大きくなったらいずれ分かるようになるから、長くなるかも知らんが、わしの話を聴いておきなさい」という態度や、「循環形式でテーマを忘れたころに、それとなく示しておいたから、それが分かるまで聴きなさい」という姿勢のようなものは、シューベルトにはあまり見受けられない。



主人公ワタナベは読書家で、作家と同じく、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を愛読している。

ちょうど今、その村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を読み終えたので、次回レビューしたい。


(ちょっと最近、脳がインプット型になっているため、記事に今までのような一貫性と完結性が無くなっています。ご了承下さい。)

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2016-01-28 13:39 | カテゴリ:アニメ音楽
『Q』には、『序』『破』のようなドキドキ、ワクワク、ハラハラの音楽に加えて、「ゾクゾク」とするものも加わりました。

ひとつ前にも書きましたが、全体的に、ベンジャミン・ブリテンのダークで深度のあるサウンドに近いです。祝祭カンタータ『キリストと共にいて喜べ』(Rejoice in the Lamb)の中間部の暗くなるところとか、とても似てると思います。

『Q』の本当の始まりを示すのは、新曲「Out of the Dark」でしょう。零号機に似たMark.09が迎えに来るところです。

この曲、これまでにないほど構成に起伏があって、ドラマチックで、個人的に好きです。
ジグザグに細かく昇っていくメロディも好きですし、後奏でそれまでのモチーフ同士が絡むところも好きです。

そしてこのシーン、けっこう視点とか激しく移っていくのですが、そこに一連の緊迫感を、丁度良く与えています。


ここから後半。少し慰められもするけど、衝撃の事実のオンパレードで、主人公はどんどん追いつめられていきます。

「Trust」3EM19_Omni_09
外の真っ赤な世界。やたら重ったいサウンドが受け入れ難い事実を表しています。

「Long Slow Pain」3EM20_P_56_A4_orch+piano
「Quelconque 56 avec A4 (2 pianos plus)」3EM21_P_57_A4_2files+1
語られる母親の真実と、「アヤナミレイ」の真実。絶望。
頭の中がひん曲がりそうな感じですね。どちらも旧TV・旧劇場版(不安との蜜月、夢のスキマ)のメロディが使われています。視聴者の皆さんの精神もガリガリ削っていきます。エヴァという作品本来の「毒性」が、新劇にて復活した瞬間だと思います。

「Return to Ash」
完全にホラーですね。「汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を見つめるのだ」というニーチェの言葉を思い出します。
とっても不安定感のある音楽なのですが、結界を破るため息を合わせるシーンへの移り変わりは、いつ見ても凄いです。
緊張感を保ちつつも、そこで調性をヘ短調(Fマイナー)へと安定させることにより、静かな熱さを感じさせます。

「Scarred and Battled」
これはもう、冒頭を聴いた途端に動悸のようなものを感じます。「うわーやっちまった!」感が半端ないですね。
これまでクラシカルな歌い方に慣れていた分、この冒頭のエスニック感には異質なものとして聞こえ、それが恐怖を喚起します。


(ちょっと最近、脳がインプット型になっているため、記事に今までのような一貫性と完結性が無くなっています。ご了承下さい。)
2016-01-27 02:00 | カテゴリ:アニメ音楽

『Q』の音楽、特に序盤は、『ふしぎの海のナディア』(1990)からの引用があります。

ナディアは、エヴァ旧TVシリーズよりさらに以前。庵野さんも鷺巣さんもかなり若い頃の作品ですが、その作風のカラーは今に至るまで、あまり変わっていないような気がします。
「ナディア」と「エヴァ」は、時間軸は異なるが、世界の舞台は同じ…という俗説もあるくらいにして、音楽を引用してしまっても、意外と違和感は無かったのではないでしょうか。

なので、その音楽は「おっさんホイホイ」の効果を持っており、劇中の状況はチンプンカンプンなのに無条件で燃えてしまった、という方が多かったのでは、と思います。

そして旧TVシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」が、それ以前の日本の特撮や海外のSFのパロディとオマージュによるものだとすれば…

今回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、庵野さん自身のこれまでの作品の「セルフパロディ」の色合いが強いと思います。(ex.旧TVシリーズ、旧劇場版の特定の絵を、意図的に文脈を変えて新劇で用いたり、さらには改変、否定したり)

なので、『Q』の大気圏外ミッションやAAAヴンダーという存在の突飛性を、ナディアの音楽の使用による「サービス」によって、半ば茶化しているような印象も受けます。

また、「公式が最大手」の異名もあるシンジとカヲルの濃密な絡みは、その「サービス」の過激さによってもはやギャグになっていると思います。

…しかし

そうしたサービスによるハートウォーミングなシーンを除くと、今作は基本的に鬱回です。

なので、音楽もナディアの「燃え」と連弾ピアノ曲の「萌え」、『第9』の「後の祭り」感を除くと、基本的に超シリアスで、ダークです。

そのシリアスさは、『序』『破』とは一線を画します。

クラシックの作曲家(イギリス)で例えるなら、それまではウィリアム・ウォルトン風、『Q』はベンジャミン・ブリテン風です。実際、ブリテンの合唱曲によく似たサウンドの箇所も出てきます。なんとなく闇属性です。

次回以降、そうした曲に焦点を当てて考えていきたいと思います。

2016-01-25 19:06 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、今回からは『Q』になります。

2012年初冬。忘れもしません。
2009年の『破』と同じように、公開初日に行ったと思うのですが、劇場を出た後のテンションは真逆でした。

「んなんじゃこれゃー!!」

という心の叫び。多くの人が同じ驚愕を感じたことでしょう。

エヴァらしからぬ『破』でのご都合主義的展開の反動が、Qに全て降り注いでいます。悲惨です。とてもエヴァらしいです。

全体的なこととして、まず新劇場版は「碇シンジ」の物語であることを、意識せざるを得ないですね。

旧TVシリーズでは、彼は「舞台装置」に近かったと思います。
そのせいで、世界観に惹かれこそすれ、主人公の境遇に共感こそすれ、彼に感情移入する人は少数だったのではないでしょうか。大多数は「なんだこの主人公」「シャッキリせーや鬱陶しい」というフラストレーションを抱いて、遠くから俯瞰していたと思います。

ところが新劇では、彼はちゃんと主人公をしています。残念ながら英語で言うヒーローという主人公ではないのですが、物語の中心軸として描かれています。これが、新劇場版と旧シリーズを分ける一番大きな要素だと思っています。

『破』では、観客はシンジに対して応援し、労い、認め、そして思わぬ成長に驚かされたと思います。

『Q』では、「…なんかおかしくね?」「…嘘だろ?」「夢なら覚めてくれ」「…なんとかならんのか」「元に戻してくれ…こんなの間違ってるよ」という感情を、シンジとともに観客は追体験したと思うのです。

では、そうした物語に対して、音楽はどうだったでしょうか?

…なかなか一言でいうことが難しいのですが、全体として

「ダークでシリアスな、重い印象を持っている」
「音楽が物語の進行を支えている」
「今までに比べ、より音楽の主張が強い」

ということが言えると思います。
実際、音楽はロンドンで3年かけて収録され、かなり力の入ったものとなっています。

サウンドトラックの動画では、「Qはイマイチだったけど、曲が凄かった」なんてコメントなども散見します。
Qにおける音楽とは何だったのか。

次回以降、詳しく見ていきましょう。
2016-01-25 17:52 | カテゴリ:未分類

YouTube、ニコニコ動画における「MAD」というスタイルの二次創作動画の投稿が流行して久しい。

MADとは、1曲の音楽(たいてい原作と無関係)を選び、その上にアニメ(or映画)作品から切り貼りした映像を流すタイプの動画だ。

その原作には、舞台となる世界があり、ストーリーがあり、それらをつむぐキャラクター達がいる。
そしてその中の時間の流れは、(不可逆ではないにしろ)唯一無二である。
それが、その作品の一定の「情報」となる。

しかし、その「情報」は同じなのに、「印象」が変わってしまう場合がある。

MADとはそのいい例だ。
「原作の製作側が意図していない音楽」
「原作の時系列を無視した、映像の切り貼り」
などによって、その原作の印象はガラリと変わる。

もしMADに使用された、どこかのシンガー・ソングライターのとある曲が、原作の雰囲気に合っていたり、その世界観に近い歌詞を含んでいた場合、その原作の世界観は拡張される。
音楽によって違う角度からものが見えるため、より原作の世界に踏み込むということが可能になる。
「あるMAD動画を見て、原作にハマった」という例も多くあるのだ。

……

一方、ギャグ色の強いMADでは、原作の世界観をぶち壊しに掛かることもある。

ニコニコ動画では、「こち亀BGM万能説」という検索タグがつけられた動画も多い。

どんなシリアス作品の切迫したシーンでも、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のドタバタコメディなBGMをそこに流してしまえば、それはコントにしかならないのである。

「BGMの大切さがわかる動画」というタグも存在するが、要するに映像と音楽の、本来あるべき調和を崩された時、初めてBGMの仕事が大きく意識されることを示している。

いずれにせよ、音楽という聴覚情報は、動画という視覚情報に、量では劣るものの、質では優っているのである。

だから、このブログでは、そうした「眼に見えない仕事」を取り出すことで、より作品の創意を楽しめるようにしていきたい。


2016-01-23 20:47 | カテゴリ:アニメ音楽

この『破』に関する最初の記事に書いたように、新曲「The Final Decision We All Must Take」は公開前のPVのBGMとして、前もって多くのファンの耳に刻まれているものでした。分厚いストリングスとコーラスの、シリアス燃えサウンドには心が踊ります。調性はト短調。弦も管も音が伸びます。

多くの人は、劇中でそれが流れた瞬間「うお、ここでか!?」と「キターーー!」という、意外な驚きと歓迎の入り混じった感情を抱いたのではないでしょうか。

というのも、旧TVシリーズには登場しなかった新キャラが、旧TVシリーズには存在しなかった裏コード「ザ・ビースト」とかいう、何かよくわからないモードにしたせいで、2号機が見たことない姿になって、戦闘を始めるからです。

「The Final Decision We All Must Take」は逆に、そんな新規設定でポカーンとなる旧ファンの心を、引き留めて劇中に集中させる効果があったのでは、と思うのです。

既に耳に刻まれている音楽を流すと、脳は「ああ、コレ知ってる」と安心するとともに、次の音の展開を予想できるので、情報処理を聴覚から視覚のほうへと集中させることができます。

なので、耳からは「燃える!」という感情だけが入ってきて、劇中の死闘に集中し、それを応援することになると思うのです。

現代の多くのTVアニメにおいて、最終話のクライマックスで1期のOP曲なんかが流れてくると、無条件で燃えてしまう、あの現象です。

しかし、『破』は、その手法をかなり前倒ししているので、「え!ここで!早くね!?」という驚きもあったわけです。

そして劇は、数々のイレギュラーはあったものの、旧TVシリーズと同様やはり主人公シンジと父ゲンドウの「再契約」が行われ、アニメ界の伝説的なシーンへと突入します。

作画に関しては、その神がかったTV版のものを踏襲しているで、グレードアップは音楽にかかっています。
もともと映像の力で持って行ってたので、TV版のBGM自体は、不安感を煽るものの、さほど印象深いものではありませんでした。

では新劇の新曲「Carnage」はどうだったかというと、その作画に対抗するほど迫力があり、それでいて融合しています。まず曲の入りからして素晴らしく、一気に画面に惹きこまれます。
そして何よりタイトルが虐殺を意味するように、言い知れぬ敗北感と恐怖を感じます。旧来のファンでも、「あーこっから展開おんなじかー」とか「この先の展開、どうなるのかなー」なんてことを考えられなくなるほど。

調性はニ短調(Dマイナー)。前の記事で述べた「In My Spirit」と同じ調です。その発展形という感じでしょうか。
劇中で流れるのは1分半にも満たないのですが、シーンと共に物凄い密度で、一気に緊張感を高めてきます。
特に、電源が切れる前の高まりは素晴らしいですね。

さて、ここから新劇ではすぐさま覚醒し、TV版からお馴染みの「Sin From Genesis」(旧「The Beast II」)が流れると、ひと安心です(笑)

調性はホ短調。「Keep Your Head Above The Mayhem 」と同じですね。仕返しでしょうか。

音楽は新録音だけあって、原曲の雰囲気そのままに、オーケストラの響きが若干瑞々しくなって、電子音なども加えれれてます。安心して燃えられます。そこに、やったらスケールアップした映像が乗っかります。
やたら第10の使徒が強かった分、それを蹂躙する初号機の強さには震えざるを得ません。もちろんシンジさんにも。

ものすごいカタルシスです。

さて、ここからが問題。
今作最後のBGMは、『翼をください』のカヴァー。
これは安心できません

なぜかって、それは3号機の時のトラウマが記憶に新しいからです!
くそう、庵野監督め!と心の中で叫びました。

しかも、このピアノの前奏は、なんだか旧劇の「Komm, süsser Tod〜甘き死よ、来たれ」を想起させます。
気が気じゃありません。

(そして個人的には、不肖にも林原めぐみ閣下の歌の、なんともいえない脱力感と音程が気になってしまったのですが、どうやら本人の意向に沿わない形での録音を庵野さんが無理に使用したそうなので、納得しました。)

さて、このシーン、いくつか不思議な事があります。

それは、音的には先程までの怒涛のシーンとは比べ物にならないほど脱力しているのですが、緊張感が保たれていることです。緊張感を保ったまま、耳の休憩が可能になるのです。

SE(効果音)も、意図的に抑えられています。
(DVDの特典映像のひとつに、野口透によるこのシーンの効果音ありバージョンが含まれているので、本編では意図的に効果音を廃しているのでしょう。)

要するに、ここは「映像」と「演技」(つまりシンジさん)の凄さに、集中することができるのです。

救出に向かうシンジさんの必死な姿は、その「映像」と「叫び声」だけで、凄まじい臨場感を持っているのです。
このシーンに、凝った音楽や効果音は不要だということです。

この後のサードインパクトに向かうシーンにしたってそうです。
神に近い存在となった初号機の、エネルギーの高まりを示すのに、音楽や効果音の手助けを借りていません。
しかし、それで圧倒されてしまいます。完全なる、映像の勝利です。


個人的には、こうしたところに、新劇場版の面白さがあると思うのです。
新劇場版における鷺巣さんの音楽による貢献は素晴らしいものがあり、映像に華を添えていることは確かなのですが、それだけではないということです。
時に庵野さんが映像や演技にフォーカスするため、音楽を退けることもあります。

エヴァの「こういうシーン」を「こう魅せたい」という情熱と意欲は、おそらく沢山のスタッフたちが、こぞって主導権をもぎ取るつもりで取り組んでいるのでしょう。

なので、DVDを繰り返し見た後、「ミュートにして映像だけ」または逆に「画面をオフにして音だけ」にしても充分に楽しめるし、逆に、今まで情報過多で見えてこなかったところが、見えるようになってくることもあります。

作り手の、そうした愉快な情熱の詰め込みが、悲劇の上で行われるというギャップによって、エヴァンゲリオンの根本的な熱さ、ベーシックなクールさ、本質的なギャグテイスト、逆説的なシリアスが生まれているのではないでしょうか?


これが果たしてエヴァだから可能なことなのかは、今年の夏公開予定の『シン・ゴジラ』を見れば分かると思います。
庵野&樋口&鷺巣によって、ゴジラというエンターテインメントは、どう料理されるのでしょうか。
個人的には期待よりも、いろいろな面で不安しかないのですが(笑)、見届けようと思います。

次回からは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の音楽を中心にお送り致します。

それでは。
2016-01-22 18:44 | カテゴリ:アニメ音楽

今作『破』のラスボス、第10の使徒(旧ゼルエル)の登場とともに、劇は長いクライマックスへと突入していきます。
今までの使徒戦に使われる音楽は、1体につき1〜3曲だったのですが、ゼルエルには7曲+αとなっており、圧倒的に多いのです。そしてそれらはドラマチックな効果を生んでいます。追って見ていきましょう。

防衛ラインを突破し、姿を現す「最強の拒絶タイプ」(旧:力を司る天使)の名は、伊達ではありません。火力、防御力、機能において、絶望的なまでのグレードアップを遂げています。

旧TVシリーズにおけるゼルエル登場時のインパクトを再現するには、もちろんそのままではダメなのでしょう。

しかし、外見はどうでしょうか?

旧TVシリーズと全体的な意匠は変わりませんが、比べると、まず脚が無くなっています。体は黒い包帯のようなものに包まれていると思いきや、その中身は空洞でした。そして全体的に黒い帯でヒラヒラしています。

つまり、見た目からは、それほど強そうには見えないのです。

では、あの圧倒的に強そうな印象は、どこから来るのか?

もちろん、音楽の力が大きいでしょう。

まず、登場時の新曲「In My Spirit」。それまでに比べると、かなり音数の多く、音圧も大きい楽曲ではないでしょうか。
オーケストラとコーラスで大盛り上がりです。調はニ短調(Dマイナー)。「力強さ」の調性です。曲風としては、ベートーヴェンの『第9』の第2楽章(同じくニ短調)にかなり近いと思います。

ここで指摘しておきたいのは、いままでの使徒戦BGMに比べて、「ドミナント−トニック」感がより強いものになっているということです。これは次の2号機戦での「Keep Your Head Above The Mayhem」においても同じです。

言い換えれば、これまでに比べて、様々な和音の「性格の違い」がより鮮明に聴こえるようになっているということです。
「機能和声法」的になってると言っても良いでしょう。これによって、シーンに「激動感」が与えられています。

「Keep Your Head Above The Mayhem」では、そのメロディの執拗な連続する音程によって、第10使徒の圧倒的な力と堅牢さが説明されているように感じます。また、メロディの頭の「休符」が、また憎い迫力を放っています。僕自身は、この音楽とシーンには物凄い戦慄を覚えると同時に、燃えましたね。

調性はホ短調(Eマイナー)。ホ短調の有名ドコロといえば、ドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』の終楽章でしょうか。なんとなく「渋い迫力」を感じる調性です。

また「Keep Your Head Above The Mayhem」は、2拍子系が基本かと思いきや、メロディが昇っていくときは、3拍子系が続きます。いわゆる「変拍子」でしょうか。これが更なるドラマチック感を増しています。

そして、「この形、なんか初めて聴いたような気がしないんだよなー」と、なんとなくモヤモヤしていたのですが、数年後に、旧劇場版『Air/まごころを、君に』('97)を見てピンと来ました。

その序盤、ネルフが戦略自衛隊の侵攻を受ける際のBGM「他人の干渉」の一部に少し似ているのです。鷺巣さんの何らかの意図によるものか、無意識によるものかは判別がつきませんが、もし旧劇のそれを覚えていて、新劇ゼルエル戦でそれを思い出したとしたら、さらに絶望感は大きかったでしょう。

…今回はここまで。
次回で『破』の最後にするつもりでいます。


それでは、また。
2016-01-20 23:19 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、『破』の後半は、大きな「展開部」となっています。
前半で新キャラたちが加わり、そこから充分に舞台環境が整ったところで、変化は訪れます。

エヴァ3号機(旧TV参号機)の登場は、まさにターニング・ポイント。「災の種」です。
TVシリーズではここから悲劇に転じ、凄惨な展開が続きました。

さて、新劇ではどうなるか?
昔からのファンは「来るか?来てしまうのか?あの展開が…」
とハラハラしたことでしょう。

結果は…あまりにも悲痛なものでした…旧作より自然に、丁寧に丁寧にフラグが積み重ねられており、しかもそれは登場人物たちの「善意」だとか「心遣い」によって更に補強されているのです…なんという悲痛!

でも、松代で爆発があった後でも

「こんだけ旧作より明るい健全な雰囲気になったんだから、ここから落とすにしても、底は浅いのでは?」

という淡い期待みたいなものを、やはりしてしまうワケですよ。


ところが、夕暮れに響く旧作からのお馴染みの音楽「Tranquillité 」、そして「Les Bêtes」が掛かって来ると、

「ああ…もう逃げられないんだな。この悲劇から…」

って絶望感に包まれるワケです。
しかも、「Les Bêtes」(意味はThe Beasts)では、旧作には存在しなかったサウンドが追加されています。
不協和音による、禍々しい「ハーーレーールーーヤーー」というコーラス。これは、否が応でも旧TVシリーズ第22話の、精神汚染のシーンを思い起こしてしまいます。(第22話ヘンデルの「ハレルヤ」については過去記事クラシック音楽@『新世紀エヴァンゲリオン』其ノ壱参照)

…しかし!です!

その絶望感の中でもまだ、希望を持ち続けた観客は意外に多かったのではないでしょうか?

なぜならば、『破』ではこれまでの前半に、旧TVシリーズでの鬱シーンを、ことごとく明転させているからです!
もしかしたら!…もしかしたら!
ダミーシステム起動という展開をキャンセルしてくれるんじゃないか!?
…だよな!?シンジ君!…頼むぞ!YOU CAN ADVANCE!!



…などと勝手に胸に一縷の希望を抱いた観客たちの心を、完全に粉砕したのは、ある音楽でした。


多くの人は後にこう語ります。
「ショックすぎてもうわけわからんかった」
「頭の中が真っ白になった」
「そこからの記憶が無い」
「魂が抜けるとは、まさにこの事」
「悲しすぎて、変な笑い声が出た」
「映画館側のミスかと思った」
「ブチ切れそうになった」

僕自身も似たようなものでした。
また多くの人が、その後もその音楽自体にトラウマみたいなものを覚えてしまったようです。

一体、どんな音楽が、そんな悪魔のような所業を成し得るのでしょうか?

激しい不協和音による、恐ろしい曲でしょうか?
それとも悲しく切ない、ピアノ曲でしょうか?

いいえ、1966年のヒット曲のカヴァーです。原曲はNHK「みんなのうた」のコーナーで耳にすることもあるでしょう。また小学生の頃に歌ったことのある人も多いでしょう。馴染み深ーい、懐メロです。しかも長調です。曲名は記事の題名の通りです。

では、一体誰がこんな曲をチョイスしたのでしょうか?
鷺巣詩郎さんでしょうか?

いいえ、庵野秀明さん、その人です。


エンターテインメントから程遠く、悪趣味以上に悪趣味……しかしながら、シーンに極めて強烈な衝撃と恐怖を刻みこみ、それでいて、なんというか逆に一周まわって
むしろココでは、この曲しかないだろ的な妙な説得力を持っているような気もしてくる、このチョイスについては、6年半経過した今でも、筆舌に尽くしがたいのです。

完全に、使いの者であるはずの鷺巣詩郎さんを押しのけて、神が直接手を下してしまっているのです。
そしてそれは、この世の理を越えてしまっているがために、人々は発狂してしまうのです

しかし、劇中の効果としては絶大です。
まず、歌が流れた瞬間に、これから何が起きるかということを、そしてそれがどんなに理不尽なことかを、観客はイヤというほど直観させられるのです。

そして観客は、主人公シンジ君の気持ちにならざるを得ないのです。
「!?」「やめてよ!」「ちょ…なにやってくれてんだよ!」「止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!!」「…何の音だ!?」「やめろぉぉおおおおおおお!!!!!」
までの一連の主人公の叫び(一部不正確)を、観客は心の中で同じように叫ぶのです。

そしてその後、主人公と観客は、あまりのショックに、我を忘れてしまうのです。


…なんというか…ここまで来ると、計算された演出と言うのも、おかしい気がします。
エヴァとは、庵野秀明とは何なのかを、観客は、ただ改めて知ることになるのです。

ここにおいて、新劇エヴァが今まで築き上げてきた温かで健全な雰囲気が、そして、鷺巣詩郎さんが今まで築き上げてきた音楽による新劇エヴァ感が、一気に崩れ去るのです。

そして主人公、碇シンジと観客は、今までの全てが、信じられなくなってしまうのです。


…つづく
2016-01-20 20:34 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、ここで一息。

ここ一連の記事で紹介している鷺巣詩郎さんの楽曲が、どのようなスタンスで作られているのか?
という点について。

角川書店刊『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 ENTRY FILE I 』(2007)のp.045に、鷺巣詩郎さんへのインタビューが掲載されています。そこから一部を引用させて頂きますね。

心がけていることは、庵野さんという人の頭を割って脳みそに耳を当ててどんな音楽が聞こえてくるんだろうということ。総監督が何を考えているか、頭の中で何が鳴っているかということです。「ヱヴァンゲリヲン」の音楽をつくるということは、庵野秀明という監督でありアーティストであるその人に曲をつけるという感覚に近いですね。加えてエンターテインメントであるという心構えも忘れないようにしようと。

…これは、とっても丁寧でありがたい、正確な説明だと思います。

『破』での第8使徒戦において「Destiny」「Fate」という、どちらも運命を意味する2種類の新曲が用いられますが、どちらもイ短調で統一され、それぞれ独立した楽曲と言えず、劇中のシーンに完全に沿う形で繋げられた、一連のBGMとして機能しています。そのサウンドは、クラシック調の分厚いオケとコーラスによる壮麗なもので、シーンの映像をこの上なく強化しています。

しかし、それと対照的に、英語歌詞の内容はとても頼りないものです。


それは、多くのロボットアニメの主人公像に反して、戦いに臨むための確固たる動機を持たない少年シンジの、内面の葛藤の吐露のようにも聞こえます。別にエヴァに乗りたくて乗っているわけじゃない…しかし、それ以外の生き方も見当たらない。

…というのは同時に、このアニメの創造主である庵野秀明の、潜在的な不安にも重なるものでもあると思います。cf.『Q』で新たに登場する「エヴァの呪縛」という言葉、設定の存在。(『Q』の製作終了後、彼は酷い鬱状態へと突入します)。

このシーン、ものすごいエンターテイメント性をもったスペクタクルなんですが、間接的に裏の顔も見せているわけです。
ただし、直後のシーンで主人公は、ほんの些細なことに大きな喜びを見出し、その表と裏のギャップは解消されます。
それをきっかけに周囲の人間関係も良好になり、中盤は、「こんなのエヴァじゃない!」と思わせるような学園(ラブ)コメ風な空気と、ポカポカな音楽に満ちていますが…

その一方で庵野秀明というダーク「デウス・エクス・マキナ」は舞台裏で、静かに歯車を回し続けるのです。
そして鷺巣詩郎は、その擬似神の、赤裸々な意志と計画を読み取り、エンターテイメントという福音で、観客を振り回しているのです。
(おそらく、旧TVシリーズ&旧劇エヴァの音楽の蠱惑的な「毒気」は、そのエンターテイメント性を抑えたが故の、ダダ漏れした神の意識だったのでしょう。)

さて、今回はここまで。
次回は『破』の後半の音楽についてです。

…つづく
2016-01-19 23:04 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、続きです。

「時計使徒」戦で、アスカの乗る2号機が登場すると、物語、画面、音にパァッと彩りが加えられます。
登場時の音楽「Ambassadrice Rouge」は、旧TVシリーズから比べて、コレでもかというくらいサウンドが豪勢になっていますね。
オーケストラにエレキギター・ソロを融合するという鷺巣さんの技は、もはや匠の域に達しています。

ここから劇は、しばしの日常描写。
旧TVシリーズの、一番ほんわかしていた時の雰囲気を、上手くリニューアルしています。

さて、劇中の中盤に差し掛かったところで突如現れる、成層圏上の第8使徒。
ここはもう、TVシリーズからの視聴者は「このシーンキターーー!!」と嬉しくなったと思うんです。印象深い燃えシーンなんで。
…ですが、その分、緊迫感もパワーアップしています。
まず、見た目。TVシリーズ随一の破壊力を持った、天空を司る使徒「サハクィエル」と、TVシリーズ最恐の、夜を司る使徒「レリエル」を合わせたような出で立ちです。
N2航空爆雷という今回初登場のネルフ兵器も「え?なにそれ攻撃?」という感じで涼しい顔。
にも関わらず、伊吹マヤさんの、天然モノ問題発言?も相まって、この時点では、雰囲気は半ばギャグテイストです。
(劇場も、和やかというか、失笑という状態。)
それというのも、このバックで流れているBGMが、とっても聞き慣れた安心感のあるものだからでしょう。

しかし、敵が落下し始め、エヴァ3体のクラウチングスタートから「大運動会」が始まる頃には、雰囲気は一変します。
劇場内の皆さんも、明らかに「ドヨドヨ」し始め、手に汗を握りながら背筋がピンとし始めます。
この時流れるのは、新曲「Destiny」。これほどまで音楽によって空気が一気に変わる瞬間は、珍しいと思います。

今回の記事のメインディッシュは、コレに致しましょう。

さて、この曲について皆さんが感じる主な印象として、「緊張感」「焦燥感」「圧迫感」などがあると思います。
(ニコニコ動画のコメントでも、「やばい緊張する」「会社や学校に遅刻しそうになると、これが脳内に流れる」というのを見ました。)
それは一体なぜでしょうか?

まず、印象に反して、この曲のテンポは速くありません。
拍子もテンポもリズムも単純で、一定です。オーケストレーション的に、音が分厚いとかもありません。むしろ淡々としています。
では展開がドラマチックか?…いいえ、単調そのものです。同じ音型を繰り返していく「ミニマリズム」という手法で、和音も複雑な展開はなく、Aマイナーの音階上の音が出てくるだけです。

じゃあ何故か?

いくつか考えてみました。

・焦燥感
まず、テンポ。ざっと測ってみたところ、126といったところでしょうか。別段速いテンポではありません。
学校の運動会で流れるクラシック音楽「ウィリアムテル序曲(スイス軍の行進)」「天国と地獄」「剣の舞」「ギャロップ」などのほうが、ずっと速いと思います。

しかし、です。

多くのポピュラー音楽が、テンポ60または120なのにはワケがあると思うんです。
それはクラシック音楽が、まだ宮廷のBGMだったバロック時代の音楽(例:バッハ)にも言えることなんですが、つまり、一分間に60または120という数値が、人間の脈拍のテンポに即しており、落ち着いて聴けるからなのです。
(個人差はあると思いますが、僕も脈拍は59〜60で安定しています。)

そこにきて、「Destiny」は126です…ビミョーに速いのです。
この微妙さが鍵です。奇しくも、直前のオペレーターの報告として、「各パイロットの(…)呼吸、及び心拍数は正常(…)」というセリフがあるので、観客もミラー効果?によって落ち着いているところに、この「微妙に」テンポの速い音楽が流れ始めるのです。ここに心理的、生理的ギャップが生じ、ソワソワしてしまうのではないか?というものです。

・圧迫感
次に、絶え間なくリズムを刻んでいるスネアの音、そして低音で保続されているラ(A)の音です。
さらに、その上にソプラノ歌手の高音域が、長い息をもって歌われます。
これが、人間に息をつく隙を与えない緊張感になっている、というもの。
ニコニコ動画のコメントでも、「息をするのを忘れていた」というのを見た気がします。
これが3分間弱続くので、結構な潜在的ストレスになるのではないでしょうか。

・緊張感
最後に、メロディについてです。

「ド」ラララ「ド」ラララ 「ファ」ラララ「ファ」ラララ
「レ」シシシ「レ」シシシ 「ソ#」シシシ「ソ#」シシシ
「ミ」ドドド「ミ」ドドド 「ラ」ドドド「ラ」ドドド
「ファ」レレレ「ファ」レレレ 「シ」レレレ「シ」レレレ

という弦楽器群のメロディがずっと続くわけですが、

「ド」……完全4度音程……「ファ」
「レ」 ………増4度音程……「ソ#」
「ミ 」……完全4度音程……「ラ」
「ファ」…… 増4度音程……「シ」

という感じで、不安定な音程「4度」を基準にずり上がって行く音型で出来ています。
これが、いつまでたっても続くため、メロディにもまた緊張感の要素が含まれていると言えるでしょう。

・おまけ
ソプラノ歌手のメロディ。どことな~く、旧TVシリーズのサハクィエル戦のメロディに似ているような気がします。
性格はかなり違うんですけどね。

とにかくこのシーンは、音楽、演技、構成、作画、どれをとっても素晴らしいものなので、皆さん大画面で、大音量で観ることをオススメいたします。


…まだまだ次回につづく!


2016-01-19 03:59 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、前回のつづきです。

この新劇場版の音楽の特徴として、「使徒戦ごとに、それぞれ曲が違う」ということが言えると思います。
逆に言えば、その楽曲が、劇中のその時その時の空気感を変えていて、その時その時の雰囲気にうまーく寄り添ってるんです。
『破』では計5体の使徒と戦うことになるので、それらシーンを上手く描き分けるために、音楽が一役買っていると言っていいでしょう。
(それらはとても特徴づけられているので、サウンドトラックを聴いたり、TVのニュース番組などの裏で楽曲が流れた瞬間、「あ、これあの使徒戦の曲だ!」と気付きやすく、頭にシーンが浮かぶ人も多いのではないでしょうか。)

『破』の墓参りの後の「時計使徒(第7使徒)」の登場は、旧TVシリーズから見ている人にとって、軽い衝撃だったと思います。
『序』の使徒たちがほぼ旧TVシリーズで見たままの姿だったのに対し、この「時計使徒」は新作です。
それも、前回記事に書いた直前の使徒が、ほぼ暗くてよくわからない姿だったのに対し、「時計使徒」は真っ昼間に、不意打ち的に突如として現れます。

その時に流れるのが、新曲「L'Agresseur 」。フランス語で「襲撃者」と言った意味です。
さてこの音楽。強いパーカッションの音による短い前奏の後に、ピアノの低音で7拍子の緊迫感のあるメロディが奏でられます。半音を多く使っており、不安定で、無調です。

劇場での第一印象は、「超カッコいい!」でした。まさに、意味不明の姿で、海を凍らせて歩き、軍艦隊を一瞬で破壊するという、「これこれ!使徒の良さって、こういう、前例のない、意味分かんない恐怖なんだよ!」という、旧TVシリーズ第1話の使徒サキエル登場シーンで受けた衝撃を、再びサービスしてくれた感じです。

…といま、書いていて、頭のなかで何かが引っかかったので、サキエル(序の冒頭の使徒)登場シーンの音楽「L'Attaque des Anges」(使徒の攻撃)(これは旧TVシリーズの使徒全般のテーマ曲です)を振り返ってみました。

…似てる!「L'Agresseur 」と「L'Attaque des Anges」似てる!どっちもフランス語だし、意味も似てる!何より音楽の雰囲気が似てる!

「L'Attaque des Anges」は4拍子エイトビートですが、低音のピアノでメロディが奏でられますし、無調で、緊迫感に満ちています。そしてなにより…

メロディ前半の4つの音程が、「L'Agresseur 」と「L'Attaque des Anges」では同じなのです!(いま気付きました)

「ミ↑ファ↑ファ#↑シ」という感じでしょうか。拍子とテンポがかなり違うので、同じようには聞こえませんが。

もしかしたら、僕が感じた「似た衝撃」は、似た音によってもたらされていたのかもしれません。
どちらも「サキエル顔」が前面に出ている使徒という共通点も有ります。
鷺巣さん、狙ってのことでしょうか?

少し内容を盛り込んでしまったので、この後の曲については、また次回。

つづく


2016-01-17 00:53 | カテゴリ:アニメ音楽

さて前回の『序』に関する記事の続編です。

2009年公開の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は、非常な期待度と熱気を帯びていたように記憶しています。
僕もそのうちのひとりとして、当時は専用2ch「エヴァ板」に張り付いていたものでした。

期待度の高かった要素として、

①旧作からの『序』はとても良いリビルドで、『破』での更なるスケールアップが予想できたから。
②『序』における『破』の予告での「新キャラ」や「新機体」の存在。一体どんな娘で、どうやって物語に絡んでくるのか?という憶測が飛び交ったから。
③公開予定日が、焦らしプレイのように先延ばしになったから(いつものパターン)。
④PVの映像とその新曲がめっちゃカッコ良かったから。

…だいたい以上だと思います。とくに④の効果が高かったのではないでしょうか。
ファンのほとんどは、「The Final Decision We All Must Take」を聞きかじり、ストーリーが予想できないよう上手く並べられた断片的な映像からあれこれ想像し、考察した数ヶ月を過ごしたことと思います。この曲については、後々。

さて、「こんだけ待たせて期待させた観客たちを驚かせるのは、至難の業だ…やれやれ、後で2chが荒れないと良いが…」という気持ちで初日に観に行った僕でしたが、多くの人がそうであったように、冒頭シーンだけで一発ノックアウトされました。

なんせ、『序』のようなクレッシェンド(だんだん盛り上がる)していく構造ではなく、最初からクライマックスだからです。もう満足です。

もちろん作画の迫力もあるんですが、ココはいつもどおり、音に注目していきましょう。

冒頭。ゴポゴポっというLCL液の音とか、操縦者の息遣いとか、低く唸る機械の起動音とかで、やったら緊張感の高い空気感を持っていて、グッと世界に没頭できるのですが、まだBGMはありません。
そこでやっと音楽が!?…と思いきや、「三百六十五歩のマーチ」を口ずさむ新キャラでした…
…と思わせといて、ストリングスの超高音で既に最初の楽曲「At The Very Beginning」が既に後ろで知らぬ間に流れており、会敵の瞬間に合わせ、一気にその分厚くて熱いサウンドが始まります。

いや〜、劇場で見た時は一気に鳥肌立ちましたね。サッポロファクトリー〈ユナイテッド・シネマ〉の、めちゃくちゃ大きいスクリーンの、かなり前に座ってたんで、物凄い迫力でした。

この音楽、まさに「始まり」という感じです。何か新しい、ワケの分からない壮大なモノが始まった!というワクワク感にあふれています。例のごとく、音楽そのものの構成、展開は単純なものの、普段クラシックオケ曲を聴き慣れている自分でも予想以上に身震いしました。サウンドの勝利ですね。音だけで、あの閉鎖的な空間が頑丈な岩盤の中(地下)であること、仮設5号機の重量感まで説明している感じです。メロディライン的には、重く引きずるような「順次進行」(ドレミファ…の音階の中を、跳躍しないで進むこと)を多用しています。

ストリングスの分厚さ、パーカッションの迫力、低いブラスの歯切れ、どれをとっても素晴らしいと思います。『新劇場版』の始まりを告げる、とてもカッコいい曲だと思います。

…さて、今回はひとまずここまで。
次回も引き続き『破』の新曲についてお送りします。


つづく
2016-01-14 22:04 | カテゴリ:アニメ音楽
さっそく始めましょう。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の前半は、ストーリーも作画も、テレビ版にかなり近いものなので、音楽もテレビ版のリテイクがほとんどです。

したがって旧作のファンも、音楽によって、昔のままの雰囲気を楽しむことができます。

中盤、第5の使徒(旧シャムシェル)戦で初めて、合唱つきオケの新曲が入りますが、この楽曲は後のもの(破&Q)に比べるとかなり「控えめ」な使い方となっており、まだ物語は旧作のレールの上から逸れるものではありません。

さて後半。今作のラスボス第6の使徒(旧ラミエル)が、旧作を遥かに上回る衝撃的な攻撃をして来ると、新オケ曲『Lucifer's Cry』が少しばかり自己主張してきます。
滑らかで分厚いストリングスのサウンドは、ロンドンでのオケ録音の賜物でしょうか?
敵の破壊力のスケールアップと、「今作は旧作とはちょっと違うぜ」感を出してきます。
エヴァの避難の仕方までスケールアップしています。

ここから、後半クライマックスに向けて映像には新カットがふんだんに盛り込まれ、「数はチカラ」を体現したような物量作戦が敢行されます…が、音楽はそのまま。
つまり…

きっと、舞台で描かれなかっただけで、旧作においても、表舞台の裏ではあのような作業はあったんだな。

…という印象となります。

さて、再び陽電子砲をセットし直す際に、今作のDVDのPVの楽曲にもなっていた、新曲『Angel of Doom』が流れ始めると、その音楽は劇中最大のクライマックスを導きます。

ここには、映像面、音楽面において、旧作では描かれなかった「新しい何か」があります。
そして、合唱つきオケ曲は、明らかに「外的描写」と「内的描写」を同時に請け負っています。
楽曲の構成は単純極まりないのですが、その繰り返しが、もう退くに退けない状況、そこに立ち向かう主人公を描いているのです。

さらにこの上に、セリフ、効果音(SE)が絶妙なバランスで乗っかることで、視聴者が世界に没頭することを余儀なくさせます。そしてこの手法は、後の続編においても、より効果的に用いられるようになります。

…それについては、また次回。今回はこれまで。

(おまけ)
新劇場版では、旧作が持っていたような「危なっかしさ」は、映像面(作画、演出)でも音楽面でも抑えられています。
旧作は、良くも悪くも「病的」な魅力を持っていたのです。
新劇場版では、(庵野さんが加齢によって丸くなったのか?)それは影を潜めています。どこか健全なのです。
しかし代わりに、楽曲の「題名だけ」が、より中二病なものになっております。笑
カッコよく言えば、神学的です。英語やフランス語で誤魔化されていますが、新曲の題名は「天使」「堕天使ルシファー」「神」「悪魔」「運命」「罪」etc.などに満ち始めます。

こうした変化は、いったい何を意味するのでしょうか?
…実は自分でも分かりません。これから何か分かるかもしれないので、引き続き考えていこうと思います。

つづく
2016-01-13 00:32 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、前回までは旧TVシリーズのエヴァンゲリオンについて語ってきました。

今回からは、2007年から展開されている『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(現時点では、「序」「破」「Q」)シリーズの音楽についてです。

本記事はその予告です。



『新劇場版』では、様々な音楽がごった返しになってています。
それは主に以下のようなものに分かれます。

①…クラシック音楽。ベートーヴェンの『第9』、ソルの『モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲』。

②…昭和チックな歌謡曲。『今日の日はさようなら(編曲)』『翼をください(編曲)』『ふりむかないで(原曲)』『恋の季節(原曲)』など。または映画『太陽を盗んだ男』からの編曲。

③…総監督、庵野秀明氏と音楽の鷺巣詩郎氏が関わった過去作品である『ふしぎの海のナディア』『彼氏彼女の事情』などの楽曲をリテイクしたもの。

④…上の③のうち、『新世紀エヴァンゲリオン(旧TVシリーズ)』の楽曲をリテイクしたもの。

⑤…『新劇場版』における、鷺巣詩郎氏によって新しく作曲されたもの。



以上のうち、主に④と⑤について、これから複数回にわたって書き進めていくつもりです。

主な世界観と設定、登場人物は変わらないものの、旧TVシリーズとは全く違う雰囲気を持つ「新劇場版」。

「リビルド(再構築)」をコンセプトとしているため、映像は再び練られ、最新の技術を用いてより鮮明に、緻密になっていますが、音楽においても、再録音を超えた素晴らしいスケールアップを果たしています。


音楽の面から『新劇場版』を見た時、何が見えるのか?


…つづく

2016-01-09 20:30 | カテゴリ:未分類
世界は謎で満ちている。

…というより、人間の知性と知識が世界を照らすことは、もともと難しいことなのである。ほぼ、不可能と言って良い。

…だからといって、自己の知性を、そのときの気分や、世間一般の常識、他人の尺度に委ねて満足してしまうと

 そこに悲劇は起こる。そしてそれは、眼に見えない悲劇の連鎖を生む。


世界は悲劇に満ちている。

…その悲劇に向かい合うのは、さらに難しいことだ。おおよそ、無理なことのように思える。

…だからといって目を背けたり、逆に解決を試みて、同情し、みだりに手を差し伸ばし、悲劇をモノとして消費してしまうと、知性を曇らせることとなる。そしてそれは、さらなる悲劇を生むのだ。


人間の本質もまた、悲劇的な性質で満たされている。

生きるということは、この悲劇にどのような形で立ち向かうか、という絶え間ない挑戦なのである。


                    ……Miyuh Kawanishi


などと、お堅い感じの導入となりましたが、このブログは要するに、
自身がこれまで触れてきた表象と、それに対する自身の見解を考えていくことで、
文化の振興を通じた世界平和へと繋がって行けばいいな、という願望によって支えられています。

CHIMERATA(キメラータ)は、「キメラ」と「カメラータ」の合成語です。
ものを一元的または二元的なものとして考えず、多くの視点から解釈していこう、という姿勢を表しています。

更新は不定期ですが、コツコツぼちぼち書いていきたいと思います。
ご意見ご感想は、お気軽にお申し付け下さいませ。




2016-01-09 01:50 | カテゴリ:クラシック音楽
さて、次は第弐拾四話 「最後のシ者」における『第9』です。
(この第24話で使われるBGMはベートーヴェンの『第9』の第4楽章だけなのです。)

この物語の中の使徒は、人類を脅かす異形の巨大生命体でしたが、物語後半になると、そもそもその設定自体を疑わざるを得なくなります。

前回述べた、第22話のハレルヤの使徒は「天使の羽」みたいな形をしていますし、第23話では「天使の輪っか」みたいな形です。そして24話では、最後のシ者は等身大の「美少年」の形をとって、ヒトとして人間側に潜入してきます。

「美少年」は、ベートーヴェンの『第9』の歓喜の歌を、鼻歌で得意げに奏でながら初登場するわけですが、これが主人公にクリーンヒット?

二人は友だちになり、主人公は触発されてポータブル音楽プレーヤーでさっそくベートーヴェンを聴き始めます。

さて、問題はここからです。
「美少年」は「最後のシ者」としての責務を全うすべく、ついに正体を表して主人公たちに敵対することになるのですが、この時に流れ始めるのが、ベートーヴェンの『第9』第4楽章「歓喜の歌」です。一度見ると軽いトラウマみたいなものが残る壮絶なシーンなのですが、アニメ名シーンの一つと言って良いでしょう。

さて、このシーン。『第9』が流れる映画は数あれど、『第9』が最も輝いているというか、本来の歌詞の世界観と、ベートーヴェンの音楽のヤバさ、エキセントリックさが浮き彫りになる効果があると思います。音楽が生きているのです。(個人的には、22話でハレルヤが流れた際に感じたような違和感は全く感じず、とても自然に、流れるべくして流れた音楽だと思います。鼻歌と音楽プレイヤーで予期されていたことも大きいのですが。)

まず、歌詞(シラーによるもの)が、そもそも仰々しいのです。以下和訳を抜粋。


歓喜よ、美しい神々の火花よ、楽園からの乙女よ、
我らは焔に酔いつつ、踏み入れる、あなたの聖なる神殿に!
あなたの魔力は、ふたたび結びつける、時の流れによって厳しく引き離されたものを。
全人類は同胞となる、あなたのやさしい翼が留まるところで!

座天使は神のもとにいまし

抱かれよ!千万の人々よ!この接吻を全世界に!
同胞よ、星空の上にこそ唯一の慈父は住み給うなり。



さて、こうした歌詞を映像化するのは、なんだかとっても難しい気がするのですが、
これを地で映像化してしまったのが旧劇場版25話26話にあたる『Air/まごころを、君に』ですね。まさにエキセントリックの極みです。

ですから『人類補完計画』の全貌をこの時点で知らない視聴者にとって、この24話での『第9』は、その後の展開へと向かう「予言」のようなものといえます。(ドイツ語の歌詞なので内容はつかめないとしても、ヤバさのエッセンスは伝わるでしょう。)
また、主人公が「最後のシ者」を止められなかった場合、その場ですぐさま歌詞のような状況がサードインパクトという悲惨な形で起こるところだったので、『第9』は「予期」だったといっても良いかもしれません。

主人公側にとって、マジヤバなピンチの時に、この『第9』は歓喜を叫ぶのです。
それが、まるで皆の悲願だとでも言うように。
潜在的に、登場人物たちが、渇望していたことを、露呈するように。
この「年末ですよ、皆さん、お疲れ様でした。よいお年(最後)を!」という雰囲気をまとった、『第9』を。

素晴らしい演出ではありませんか!

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では状況は異なりますが、同じような感じでフォース・インパクトの儀式が始まり、この時も『第9』が流れるので、製作者側は確信的に演出しているのだと思われます。
しかし視聴者にとって、24話では格調高い予言または予期だった『第9』が、Qにおいては逆に過去の「フラッシュバック」として機能します。その、ギャグだかシリアスだか、あるいはそのどちらもか、判別しがたい演出となっているのは興味深いですね。

旧劇場版25話26話にあたる『Air/まごころを、君に』では、バッハの清らかで心地よいト長調の音楽『G線上のアリア』と『主よ人の望みよ喜びよ』が、非常に不快な映像の裏で流れます。笑

ここには、22話の『ハレルヤ』のような仕掛けや、24話の『第9』のような神演出を、個人的には感じ取ることはできません。何か別の意図によるものを感じます。
まるでそれはお手洗いの「電子水流音」のような誤魔化しだったり、閉店間近のデパートの「蛍の光」のような、購買意欲を削がせる空気感づくりに似ています。

そもそも、虚構であるあちらのアニメの世界に、こちらの現実世界のクラシックを流してしまうことは、一種の「打ち水」効果があります。

また映像とバッハの音楽のミスマッチさは、ある意味計算されたものと言えます。
バッハの音楽はそもそも、その偉大さ故に、BGMたり得ないのです。
世界のアニメ史に残ると言っていい、手描きで卓越した動きを魅せてくれる、この量産機との戦闘シーンにおいて、かっこいい戦闘曲ではなく『G線上のアリア』を流すことは、視聴者に映像へ没入することを阻害し、距離を置いて観ることを促します。また、視聴者は音楽によって潜在的に「この戦闘で燃えてはいけないようだ。この先はもう、いいことなんて無さそうだ」という心の準備を済ませることで、その後の凄惨な展開に対する免疫を獲得します(それでも「みんなのトラウマ」と称されるほど、衝撃は強いものですが)。

そんなこんなで、『新世紀エヴァンゲリオン』は映像においてのみならず、音楽においても非常に特殊な演出を行っており、クラシック音楽を決して「安易に」使っているワケではないというのが、僕個人の感想というか、印象です。

『新劇場版』ではそうした反省というか反動からか、鷺巣詩郎の音楽は基本的にコーラスをふんだんに使った圧倒的サウンドによる『擬似クラシック化形態』を取っており、逆にここぞというときはレトロなポピュラー音楽を使うという、まことにエヴァらしい、ぶっ飛んだ演出が見られます。

次回の記事は〈アニメ音楽〉にて、『新劇場版』の音楽について書いていきたいと思います。

2016-01-08 19:42 | カテゴリ:クラシック音楽
僕がこの作品に出会ったのは、17歳、2006年の夏頃でしょうか。
それまでなんとなく、90年代後半に社会現象になったことだとか、初号機だとかキャラクターの造形を知っているだけで、世界観やストーリーについては全く知りませんでした。

初めて本編に触れたのは、旧テレビシリーズの第六話「決戦、第3新東京市」のヤシマ作戦の回だったと思います。なんとなく垂れ流してた家のケーブルテレビの、ANIMAXチャンネルでの一挙放送。当時の僕は、別にアニメオタクでもなんでもなく、硬派に、日々の学校での勉学とクラシックピアノに打ち込んでいる少年でした。

しかし、その時ひと目で「これは見ておくべき作品だ」と直感し、再放送の第1話から見てみることに。結果、一瞬でドハマリ。それからです。今では立派なアレです。

さて、御存知の通りこのアニメ作品。TV版は全26話あります。前半は健全で、人類の敵にロボットで立ち向かうアクションものなんですが、後半から次第に、雲行きが怪しい展開が続き、終盤において、それはもう悲惨極まりない状況に至ります。しかし、そのストーリーや世界観、キャラクター描写は、「卓越した作画」と「演出」、声優陣の「演技」によって、凄まじいまでの存在感を放ち始めます。

…が、僕が中でも注目するのは、やはりそこに加わる「音楽」です。特に、クラシック音楽。
(音楽担当の鷺巣詩郎さんの楽曲について語りたいことはありますが、そこはまた後日)

第拾伍話、シンジの弾くバッハの『無伴奏チェロ組曲第1番』に始まり、ヘンデルの『ハレルヤ』(第弐拾弐話)、ベートーヴェンの『第9』(第弐拾四話)、その後、パッヘルベルの「カノン」(シト新生)、バッハの『G線上のアリア』『主よ人の望みよ喜びよ』(Air/まごころを君に)etc.… 

などなど、物語後半になるにつれ、次第にクラシック音楽が使用されるようになります。

映像作品の中に、クラシック音楽がBGMとして挿入されることは多々あります。
映画『時計じかけのオレンジ』では、ベートーヴェンの『第9』が流れますが、これは脚本に組み込まれてのことなので必然性があります。ロッシーニの『ウィリアムテル序曲(スイス軍の行進)』は、少し奇手ですね笑。映画『ローン・レンジャー』での『ウィリアムテル序曲(スイス軍の行進)』、映画『ヘルタースケルター』での『第9』使用は、特に意味が見られません。ただシッチャカメッチャカ感を出したかったのでしょう。
最近では、映画『バードマン』において、マーラーの『交響曲第9番』とラフマニノフの『交響曲第2番』が、極上の映画音楽に化けて、上手く溶け込んでいます。

ですが、これらはあくまで映像にふりかけるスパイスとして、クラシック音楽をBGMに転用している感じがします。

一方、映像作品でのより深い表現のために、似たような表現内容を持つ曲を持ってくる、という手法もあるので、一部紹介しておきます。代表例としては、映画『2001年宇宙の旅』の冒頭に、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭を持ってくる例。また最近のアニメでは、『血界戦線』のクライマックスにモーツァルトの『魔笛』を合わせてくるなど。
このようにして使われたのなら、過去の作曲家も冥利につきるというものでしょう。


…さて、エヴァンゲリオンに戻りましょう。
まず、初めて大々的にクラシックが流れる22話「せめて、人間らしく」。
使徒の攻撃である、謎の光が天から差すと、ヘンデルの『ハレルヤ』が流れ始めます。そっから戦闘終了まで、結構長い時間流れ続けます。すっごい明るくて爽やかな音楽です。

ハレルヤは好きだったのですが、初見時は頭を抱えたものです。なぜなら…
おおよそ、敵の攻撃を受けて、ヒロインが苦しんでいる時に流すような音楽ではないからです!

ハレルヤの主な歌詞の内容は「皆さん、さあ!主の中の主、神を讃えましょう!」というようなものなのですが、そんな光を使徒(Angel)、つまり天使が投げかけてくるのです。でもそいつは、全人類の敵なのです。そいつが華やかな音楽とともに、諭してくるのです。

その音楽と爽やかな光を受けて、ヒロインは精神を蝕まれながら、醜くもがき苦しむのです。

そんなシーンを見せつけられると…それを頭で理解するようになると、こんなことが頭に浮かぶようになります。

「…つまり、あれか?…悪いのは、シトではなく、ヒトだったのか?」 と。


もし製作者側が、視聴者にそのような疑念を抱かせるために、このような演出に打って出たのだとしたら、それはもう「やられた!」という感じです。ここでは劇伴が、単なるBGMの領域に留まっていません。

これまで使徒が出現するときは、いつだって不気味な姿や攻撃の後ろに、危機感のある不気味な音楽が流れていたものです。そこに、勇ましく明るい音楽と共にエヴァンゲリオンで出撃していたのが、これまでのパターンだったのです。

そこへ、格調高い「正統派感」を持った特殊な音楽ジャンルであるクラシック音楽が、舞台の仕掛けとして、視聴者の認識をひっくり返しに来るのです。


…(其ノ貮に続く)


2016-01-08 15:32 | カテゴリ:映画音楽
いま世界は、スター・ウォーズの最新作、エピソードVII/フォースの覚醒で賑わっていますね!
僕も先月、両親と映画館で観てきました。

監督は、生みの親ジョージ・ルーカスから今作のJ.J.エイブラムス(個人的に『クローバーフィールド/HAKAISHA』がオススメ)へと移ったわけですが、音楽はこれまでどおりジョン・ウィリアムズが担当しています。

ジョン・ウィリアムズの映画への貢献は計り知れません。ほんの一部を挙げましょう。
(ジョーズ…E・T…スーパーマン…未知との遭遇…ホームアローンシリーズ…インディージョーンズシリーズ…スター・ウォーズシリーズ…ジュラシック・パーク…ハリーポッター(メインテーマ)…etc.)

ここで皆さんに訴えたいのは、次の3点です。
①劇伴だけでなく、「メインテーマ」として、音楽だけでその映画の世界観をドカンと描く能力が、彼にはあること。
②「彼のサウンド」は確固としていながら、作品に合わせて多彩な引き出しから音楽を繰り出してくること。
③クラシック音楽の潮流を上手く受け継ぎ、効果的に表現していること。

今回は、特に③について解説していこうと思います。
ジョン・ウィリアムズは、クラシック音楽からの影響がかなり強いと思います。
例えば、ホームアローンの冒頭、家族で空港で大慌てするBGM…これは完全にチャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』のロシアの踊り(トレパーク)のパロディです(笑)

また、スターウォーズのエピソードIV(つまり第1作目)の冒頭スター・デストロイヤーのシーンなんかは、明らかにホルストの組曲『惑星』の[戦争の星 火星]からの影響ですよね。

彼のサウンドの源流としては、やはりホルスト、エルガーなどの、ヌケの良いイギリスサウンドが感じられます。
ドイツ、フランス的要素はありません。あとは、わずかにロシアチックなところがあります。既に述べたチャイコフスキーがありますし、最新作エピソードVIIのエンドロールの一部には、ショスタコービッチ的なところが初めて登場します。

さて、導入はここらへんにして、本題に入りましょう。
『スターウォーズ』は全部ストーリーが繋がっているので、全作合わせると、15時間?ほどの大作になります。
クラシックで言えば、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』(約14時間)に匹敵します。偶然かもしれませんが、これによく似た映画『ロード・オブ・ザ・リング(&ホビットの冒険)』シリーズの合計時間もまた、これに匹敵するでしょう。

『スターウォーズ』
ワーグナーの楽劇
『ロード・オブ・ザ・リング(&ホビットの冒険)』

これらの共通点として、時間が長大であること、世界観、ストーリーが壮大であること、登場人物が多いこと、が挙げられると思います。これらを、中心軸とまとまりを持ってストーリー展開させるにあたって、必要不可欠なものがあります。

それは、音楽によるライトモティーフ(示導動機)の使用です。
これは、クラシック音楽における、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラでよく使われてきた手法で、
要するに登場人物やアイテムに付された「テーマ曲」のことです。
(これについては、前回の記事『天元突破グレンラガン』においても、少し触れましたね。)

ロード・オブ・ザ・リングでは、主人公ホビット族の、心やすまる純真なテーマや、金の指輪がアップで映るときに流れる、あの悪魔的な誘惑のテーマ、敵勢のサルマンとオークのテーマというものが、視聴者の印象に残るように設計されています。

さて、スターウォーズではどうでしょうか。
言うまでもなく皆さんの脳裏にこびりついているのはダース・ベイダーのテーマではないでしょうか。楽曲としては『インペリアル・マーチ』(和訳すれば、帝国の行進曲?)といいます。
様々なメディアでの露出もあって、強く印象付けられていると思います。
インペリアル・マーチがババーンと登場するのは実はエピソードV「帝国の逆襲」なのですが、そのメロディの核となるものが、テンポや音高を変えながら、作中を通して至る所に登場します。
エピソードI「ファントム・メナス」では、あのちっこくて純真なアナキン少年の可愛らしいテーマの中にさえ、暗示としてベイダーのテーマが顔を覗かせます(憎い演出!)。

さて、そのインペリアル・マーチ。なぜあの音楽はキャッチーなのか、というのが今回の真の議題です。
まず、行進曲なので、人が列をなして歩く、あの2拍子が良いのでしょう。
テンポ感としては、モーツァルトの「トルコ行進曲」にかなり近いと思います。
あと、エルガーの「威風堂々」行進曲でしょうか。だれもが耳にする、クラシックの有名ドコロです。
とにかく、拍子とテンポからして、キャッチーなのです。

さてタイトルにもあるように、次は調性。つまりキーです。ここから少し専門的な話になります。
『インペリアル・マーチ』は、ト短調で書かれています。英語で言うとGマイナー、ドイツ語ならG-mollです。
さて、このト短調。全部で24ある調の一つですが、個人的にかなり特殊な性格を持っていると思います。
クラシックで言えば、中学校の音楽の必修でもある、シューベルトの歌曲「魔王」ですね。あれはト短調です。カッコいいです。あと、ヴェルディの『レクイエム』の、あの鬼熱い「Dies irae」(ディエス・イレ)ですね。これも皆さん絶対どこかで(エヴァンゲリオン旧劇予告、バトルロワイヤル予告など)聞いたことあると思います。

このト短調、ただ厳粛でカッコいいのではなく、個人的には堕落の意味合いが強い気がします。つまり、根本的にダークサイドなのです。何故か?

それは、ト長調(Gメジャー)の裏だからです。

ト長調といえば、クラシック音楽で言えば、まずバッハの作品に多くの宝が存在します。
『主よ人の望みよ喜びよ』『G線上のアリア』『ゴルトベルク変奏曲』『甘き喜びのうちに』
あとは、モーツァルトの『アイネクライネ・ナハトムジーク』などでしょうか。

とにかくどれも、無垢で軽く甘い、至上の調なのです。
光の調、つまりライトサイドなのです。

そのト「長」調と比べた時、ト「短」調は、個人的にですが、とてもダークサイドに堕ちた気がするのです。

同じことが、神の調「ニ長調(Dメジャー)」と、悪魔の調「ニ短調(Dマイナー)」においても言えるのですが、この話はまたいつかすることにしましょう。

とにかく、ダースベイダーのテーマにト短調を持ってきたジョン・ウィリアムズさん、Good Job!と言いたいわけです。


さて、キャッチーな理由として、テンポ、拍子、調と挙げてきたので、残りはメロディー、リズム、和声(コード進行)
ということになります。ここらへんはまとめていきます。

さて、曲風としては、「インペリアル・マーチ」は、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」やプロコフィエフの『ロミオとジュリエット』の「モンタギュー家とキャピュレット家」(どれもみなさんご存知かと思われます。)に近いと思います

どちらも勇壮で、権力的で、威圧的です。

ただし、インペリアル・マーチのメロディーは、その主音であるソ(G)の音の中心性、回帰性がより強くなっています。
コード進行、ベース進行においても、ト短調の主和音への回帰性が強く、

なんかこう、とても頑固な感じがします

それは、帝国軍の強さを印象づけるためでしょうか?
それとも、物語における、アナキンの頑固さの現れでしょうか。


とにかく、ジョン・ウィリアムズは、このダースベイダーのテーマを作中に散りばめていますが、そのことによって、エピソードIからエピソードVIまでが、アナキンの一生の物語として捉えやすくなっていることは事実です。

皆さんも今度観るときは、そうしたことに気をつけてみてみると良いかも?
これから新作もまだ続くようなので、私も期待しています。
何か発見がありましたら、またご報告いたします。それでは。

(次回は、念願のエヴァンゲリオンについて書きたいと思います。劇中のクラシック音楽の用い方に焦点を当てたいと思います。乞うご期待!)
2016-01-08 00:44 | カテゴリ:アニメ音楽
さて、前回に引き続き、『天元突破グレンラガン』第26話「行くぜ ダチ公」の音楽について。

今回はいよいよ、〈Libera me from Hell〉です。
youtubeやニコニコ動画では、国の内外を問わず、恐ろしい再生回数と絶賛の嵐を誇る、このトンデモ神曲。

アニメ本編でも、悲劇的なまでの爽快感をもつクライマックスシーンの裏で、この曲が流れ始めると視聴者は無条件で、言い知れぬ高揚感と深い感動に包まれるようです。

この曲を感じることは全人類にとってたやすい一方、この曲を理解し、解説するのは、クラシック畑の人でないと難しいのではないでしょうか。
そこで僭越ながら、私がガイドを務めさせていただきます。

・題名について

まず、このLibera me from Hell。「Libera me」はラテン語で、「リベラ メ」と読みます。和訳としては、「(神よ、)私を解放し給え」となります。文脈的には、死の恐怖から、または死後の地獄の苦しみから救い給え、という意味をもちます。
なので題名後半の「from hell」(英語)「地獄から」というのは、蛇足のような気がします。(丁寧な説明とも言えます)

さて、この「Libera me」という題名は、巨大な文化背景が含まれています。まず、クラシック音楽の源流である、中世ヨーロッパの「グレゴリオ聖歌」、そこから派生したルネサンス、バロック、古典、ロマン、近現代に至る「ミサ曲(レクイエム)」の中の一節に登場する、合唱と管弦楽で奏でられる教会音楽、すなわち宗教音楽の一種なのです。
1時間かそれ以上続く、荘厳な「レクイエム」(筆者も何種類か合唱団として歌ったことがあります)は、もはや儀式です。「Libera me」は、そんな儀式の終盤に現れます。ラスボスと言っても良いかもしれません。

ヴェルディのレクイエム、フォーレのレクイエム、ブリテンの戦争レクイエムでは、まさにそんな感じです。
超クライマックス感バリバリです。

・音楽的効果について

『グレンラガン』でも、物語終盤、ラスボスステージにてこの曲は流れます。狙ってますね。
高いソプラノ歌手と、対位法的な拡がりのあるオケの入りはクラシック調で、一層それを引き立てます。

しかし、この曲のポイントは、なんとそこにドラムが入り、男声の、英語によるラップ調ヒップホップが重ねられる点にあります。

コラボレーションさせるには程遠いジャンルの両者ですが、なんということでしょう、不思議と調和しており、音楽にさらなる深みと厚みを加えています。

・内容について

女性のラテン語パートは、歌詞の内容も歴史的な「Libera me」に即しています。
大ざっぱな内容としては…
聖書でいう「最後の審判」の日に、神が我ら人間を裁くため、恐ろしい天変地異とともに現れる。
その恐怖たるや、まして地獄に堕ちることとなる者の恐怖は、いかばかりか?
神よ、我らを、死者を、救い給え。その恐怖から、解放し給え。
…というような感じです。
このようにガクブルしてる人間は、ここでは完全に神の仔羊です。

さて、一方、ラップ調の英語の歌はといえば、
本編のCM前後のアイキャッチとともにRow Row Fight the Powerと歌われる、まさにその感じ。
とても軽いが、カッコいい。
そしてその歌詞は、完全にこの曲のために書かれたとも言える、シモンとカミナの口上のような内容。
神をも恐れぬ、向こう見ずな上昇志向、人類讃歌。

こうして、言語も曲調も内容も異なる、2種類の音楽が、2重螺旋のように交互に絡み合い、それが曲の進行とともにどんどん強さを増していき、盛り上がっていきます。
そして、最後には英語の方が、力強い掛け声となって打ち勝ちます。

この音楽は、まさにそのシーンの内容に即していると言えます。

死の恐怖に打ち勝ち、勇気でもって仲間を救ったキタン。
多元宇宙の誘惑に打ち勝ち、死者たちの思いと、いまを生きる者の思いを胸に、最終決戦へと臨むシモン、ヨーコ、ヴィラル、その他大グレン団。

これほどまでに、〈Libera me from Hell〉はアニメのストーリーに沿った内容を持っているのです。
そしてその劇的な効果は、音楽の極めて大胆な対比構造と、その調和によるダイナミズムにあるのではないでしょうか?

なんにせよ、このシーンは『天元突破グレンラガン』の興奮の頂点であり、それは世界のアニメ史に爪あとを残すには十分な芸術的価値を持っていると言えるでしょう。




(次回、同じガイナックス系アニメとして『エヴァンゲリオン』または『キルラキル』について取り上げようと思います。乞うご期待!)
2016-01-07 22:03 | カテゴリ:アニメ音楽
Row! Row! Fight the Power!
第26話「行くぜ ダチ公」!

初めまして。アニメとクラシック音楽を愛する、とある研究者です。

いやー、何年経っても熱いですね!『天元突破グレンラガン』

年末から年始まで、ニコニコ動画で一挙放送してたので、2007年リアルタイム時に見逃していた話を見ておこうと、出来心で見始めた結果……
まんまと全話視聴してしまいました!(笑)
博士課程の受験勉強中だったんですけどね

さて、今回こうしたブログを始めたのは、もちろん、その音楽において語りたいことが噴出してしまったからです。
この26年間、蓄積してきた音楽知識をもとに、日本のアニメの劇伴に焦点を当てて、独自のガイドを行っていきたいと思います。

さて、本題に入りましょう。
まず、今回のテーマ『天元突破グレンラガン』における音楽の魅力は、神回と称される第26話「行くぜ ダチ公」に詰まっています。

そのポイントは、以下の3点。
キャラクター、アイテムに付された音の効果の絶妙さ。
シーンごとの音楽による、緊張と弛緩のバランスよい配置。
クライマックス。神曲『"Libera me" from hell』(Row Row Fight the Power)。

さて、早速①と②について。
第26話冒頭。キタンの遺志を受け取った超銀河グレンラガンは、おなじみガイナ立ちの勇ましい姿で登場。燃えずにはいられない音楽です。

そこへ襲いかかるアンチスパイラル勢の兵器(顔だらけの戦艦)が出てきて惑星をぶん投げ始めると、[完全4度]構成の不気味な和音が鳴り響きます。そして怪しい音楽とともにシュレーディンガーなんちゃらワープで迫り来る敵陣。

しかし、これもまた気合と根性の力で跳ね除けるグレンラガン。怪しい音楽は止みます。ホッ。

しかし、それも束の間。
この回において初めて全貌があらわになるラスボス、宇宙の影の支配者「アンチスパイラル」登場。
ここで、彼が〈多元宇宙迷宮〉にシモンたちを送り込む際の音、そして、彼がロージェノム(首)とブータ(人間)の前に現れ、対峙するシーンの背後の音。はいこれ「自然倍音列」です(画像参照)!
つまり、〈宇宙原理〉感〈隠された支配者〉感!出てます!Good Jobです。
さすが10次元と11次元の狭間に隠れていた支配者。神秘力が違います。
自然倍音列をここで詳細に説明すると長くなってしまうので、詳細を知りたい方は、wikipediaをご参照ください。今後また触れるときには、もう少しじっくり解説したいと思います。
自然倍音
(図はドに基づく自然倍音。劇中ではミに基づく自然倍音ですね。)

この自然倍音、前例としてクラシック音楽では、1910年あたりのロシアの作曲家スクリャービンの〈神秘和音〉があります。彼のピアノ作品『焔に向かって Op.72』のラストなんかは、もろミの上の自然倍音です。他にも、70年代のスペクトル楽派の作曲家、Gérard Griseyのオーケストラ作品『音響空間』なども、ミの上の自然倍音だけで書かれています。興味のある方は、youtubeで探してみてください。とくにグリゼーの作品はまんまです。

本編に戻りましょう。多元宇宙の迷宮(作中屈指の名シーン!)内において、シモンは「真」カミナに出会い、作中のシンボルアイテム「コアドリル」を手にします。このコアドリルの、緑の光と共に発する〈ブゥーン〉という脈動の効果音、この音は力強い「ド」の音ですね。力強い、無垢なる「螺旋力」の象徴として、とても効果的に使われていると思います。

そして次に流れるのが、例の神曲です!
ここぞという時に流れるこの曲、そのシーンも相まって、全ての視聴者に凄まじいまでの感動をぶつけてきます。これについては、次号で述べましょう。

それでは。