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2016-02-08 20:03 | カテゴリ:アニメ音楽

「ヤマアラシのジレンマ」(Hedgehog's dilemma)。

ヤマアラシのような棘を、人間は心にもっている。お互いに理解し合おうと近寄れば近寄るほど、互いの棘で傷つけあってしまう。その距離感の困難さの上に、人間関係は成り立っている。

…というような哲学用語、心理学用語だったように記憶しています。

我々の実生活でも身近に存在するし、よく見聞きするジレンマの一つでしょう。

エヴァ旧TVシリーズでも、序盤にリツコの解説付きで紹介されるし、それは作品を通してのテーマに関する重要なキーワードでした。(視聴者は、まさかそのテーマが最終話や旧劇であんなに強調されるとは思いもしなかったでしょうが。)

秘密結社ゼーレは、そのジレンマもまた「人間の不完全性の証拠」であり、原罪であるとして、人間の存在を否定する立場にあります。

しかし人間はその棘という心の防壁を失うと、人間でなくなります。心の壁があるからこそ、自我を持ち自立することができるのです。傷つけ合うのも愛しあうのも、人間が生きるということで生まれるのです。
人間とは、かくも不器用で、アイすべき「けもの」なのです。

…というのが、旧エヴァの大まかなメッセージでしょう。

では、『新劇場版』はどうでしょうか?

やはり、変わっていないと思います。
ちゃんと健全に描かれています。さらに『新劇場版』では、手の触れ合いが、繊細に、美しく描かれています。

それは旧エヴァには見られなかったことです。旧エヴァはどこか殺伐としていて、手は「汚れ」の象徴のように描かれているフシがありました。

(漫画版(貞本エヴァ)では、手の触れ合いの尊さが強調されていますから、きっと『新劇場版』は、そこからの逆輸入でしょう)

また、「音楽」によって、テーマは強調されています。

『新劇場版』においても、旧エヴァのようにリツコが「ヤマアラシのジレンマ」を解説してくれます。
この時の音楽は、アレンジが加えられながら、度々登場します。

次に出てくるのは、シンジがネルフを飛び出し放浪するシーン。

そして次に、ヤシマ作戦後にシンジがレイを救出に向かい、手を取るシーン。
(このシーンと、直後の月の神秘性が、個人的にはお気に入りです。ピアノが良い味出してます。もちろん、月面“静かの海”で目覚める“彼”に至るまで。)

3度も現れるので、もはや『序』の隠れたテーマ曲と言って良いでしょう。

そして次はいつか?

『Q』でした。終盤。
壮大にアレンジされ、悲劇的でドラマティックなシーンとなっています。

ここでは、旧エヴァとは違い、二人は友達のまま別れを迎えます。

幸せを願い、最善を尽くそうとしたものの、裏目に出てしまった形。

「ヤマアラシのジレンマ」は、皮肉にも、人間をという生き物を輝かせる「悲劇」のための、大きな舞台装置なのです。



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2016-02-02 01:05 | カテゴリ:アニメ音楽

『Q』のBGMには、ピアノ曲が多い。

中盤でのピアノの演奏シーンがとかく強烈だが、その前後でもBGMとして多く使われている。
オケとコーラスの分厚いサウンドも魅力的だが、ピアノパートが、シンプルながら、なかなか多くを語っている。
今回は、その中でも静かな曲を中心にとりあげよう。

前半。初号機が今はヴンダーのメインエンジンになっている、というリツコの説明シーンと、ガラス(アクリル?)板ごしにアスカとの対面を果たすシーンの2曲は、短調のピアノ曲だ。第一印象として、「旧エヴァっぽくないな」というのがあった。

そして、ぜんぜん激しい曲ではないのだが、なんとなく不穏で、イライラさせる。
その場のメンバーの、何をどう話していいか分からず、ピリピリしている雰囲気を、音楽からも感じる。
(『破』の和やかな空気感はドコへやら…)

説明も的を得ず、とっても居心地が悪く、「なんか違くね?」という違和感が膨らみきったところで、アヤナミの声が聞こえ、Mark.09の襲撃がある。

この襲撃時の『Out of the Dark』はとても緊迫感があってドラマチックで、カッコ良いのだが、どこか安心感がある。不思議だ。

シンジとともに、視聴者は「ココは間違っている、いるべき場所じゃない」と確信し、かつての親しき人々に背を向ける。
英語の歌詞は旧約聖書の創世記っぽいのだが、「this was his heaven」(ここは彼の楽園だった)という歌詞が印象深い。

…さて、話を戻そう。

シンジの新ネルフ探検シーン。とても殺伐とした風景で、旧劇場版の後かというほど荒れまくっている。
なんとなく、『風の谷のナウシカ』のオープニングのピアノを連想した。伴奏の音型と和音のせいだろうか。

でもメロディが興味深い。ベースも最初は動かないが、フレーズ後半でむくっと起き上がり、そして二度寝する。

何かを探して彷徨っていて、「あ!向こうにあるかも!」と思ったけど、もうそこには何も残っていなかった、というような感じがする。

(この曲、第13号機に搭乗する前、カヲルが説得するシーンでも流れているのだが、ストリングスにアレンジされているし、雰囲気もかなり変わっているのが面白い。悲しみと失意の中の、かすかな希望の光が一粒。静謐で聖なる雰囲気が漂っている。)

そして、カヲルとシンジが星を眺める時の曲。あれは個人的にお気に入りです。
とてもピアノの特性を活かした音楽です。
冒頭は、ファソラシ(♮)ドレミファの音がペダルで混ぜ合わされています。
「リディア旋法(スケール)」ですね。

(似たような印象を受けるピアノ曲として、スクリャービンの「前奏曲(Prelude) op.16-1」がふと思い出されます。
空間的、時間的にとても広い音楽です。)

また、その直前のシーンの、日が暮れて染まりゆく空を見上げて「…暗くなって来たね」というつぶやき。
このシーンで、和音がちょっと切なくマイナーになるのが素晴らしいですね。

シーンに、美しく調和しています。映像と音がシンクロすると、それにひっついて風や温度、匂いまで感じられるようになります。

新劇場版は、本当に、映像だけでなく、音(音楽、効果音、演技)にトコトンこだわっているなあと感じます。

2016-01-28 13:39 | カテゴリ:アニメ音楽
『Q』には、『序』『破』のようなドキドキ、ワクワク、ハラハラの音楽に加えて、「ゾクゾク」とするものも加わりました。

ひとつ前にも書きましたが、全体的に、ベンジャミン・ブリテンのダークで深度のあるサウンドに近いです。祝祭カンタータ『キリストと共にいて喜べ』(Rejoice in the Lamb)の中間部の暗くなるところとか、とても似てると思います。

『Q』の本当の始まりを示すのは、新曲「Out of the Dark」でしょう。零号機に似たMark.09が迎えに来るところです。

この曲、これまでにないほど構成に起伏があって、ドラマチックで、個人的に好きです。
ジグザグに細かく昇っていくメロディも好きですし、後奏でそれまでのモチーフ同士が絡むところも好きです。

そしてこのシーン、けっこう視点とか激しく移っていくのですが、そこに一連の緊迫感を、丁度良く与えています。


ここから後半。少し慰められもするけど、衝撃の事実のオンパレードで、主人公はどんどん追いつめられていきます。

「Trust」3EM19_Omni_09
外の真っ赤な世界。やたら重ったいサウンドが受け入れ難い事実を表しています。

「Long Slow Pain」3EM20_P_56_A4_orch+piano
「Quelconque 56 avec A4 (2 pianos plus)」3EM21_P_57_A4_2files+1
語られる母親の真実と、「アヤナミレイ」の真実。絶望。
頭の中がひん曲がりそうな感じですね。どちらも旧TV・旧劇場版(不安との蜜月、夢のスキマ)のメロディが使われています。視聴者の皆さんの精神もガリガリ削っていきます。エヴァという作品本来の「毒性」が、新劇にて復活した瞬間だと思います。

「Return to Ash」
完全にホラーですね。「汝が深淵を覗くとき、深淵もまた汝を見つめるのだ」というニーチェの言葉を思い出します。
とっても不安定感のある音楽なのですが、結界を破るため息を合わせるシーンへの移り変わりは、いつ見ても凄いです。
緊張感を保ちつつも、そこで調性をヘ短調(Fマイナー)へと安定させることにより、静かな熱さを感じさせます。

「Scarred and Battled」
これはもう、冒頭を聴いた途端に動悸のようなものを感じます。「うわーやっちまった!」感が半端ないですね。
これまでクラシカルな歌い方に慣れていた分、この冒頭のエスニック感には異質なものとして聞こえ、それが恐怖を喚起します。


(ちょっと最近、脳がインプット型になっているため、記事に今までのような一貫性と完結性が無くなっています。ご了承下さい。)
2016-01-27 02:00 | カテゴリ:アニメ音楽

『Q』の音楽、特に序盤は、『ふしぎの海のナディア』(1990)からの引用があります。

ナディアは、エヴァ旧TVシリーズよりさらに以前。庵野さんも鷺巣さんもかなり若い頃の作品ですが、その作風のカラーは今に至るまで、あまり変わっていないような気がします。
「ナディア」と「エヴァ」は、時間軸は異なるが、世界の舞台は同じ…という俗説もあるくらいにして、音楽を引用してしまっても、意外と違和感は無かったのではないでしょうか。

なので、その音楽は「おっさんホイホイ」の効果を持っており、劇中の状況はチンプンカンプンなのに無条件で燃えてしまった、という方が多かったのでは、と思います。

そして旧TVシリーズの「新世紀エヴァンゲリオン」が、それ以前の日本の特撮や海外のSFのパロディとオマージュによるものだとすれば…

今回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、庵野さん自身のこれまでの作品の「セルフパロディ」の色合いが強いと思います。(ex.旧TVシリーズ、旧劇場版の特定の絵を、意図的に文脈を変えて新劇で用いたり、さらには改変、否定したり)

なので、『Q』の大気圏外ミッションやAAAヴンダーという存在の突飛性を、ナディアの音楽の使用による「サービス」によって、半ば茶化しているような印象も受けます。

また、「公式が最大手」の異名もあるシンジとカヲルの濃密な絡みは、その「サービス」の過激さによってもはやギャグになっていると思います。

…しかし

そうしたサービスによるハートウォーミングなシーンを除くと、今作は基本的に鬱回です。

なので、音楽もナディアの「燃え」と連弾ピアノ曲の「萌え」、『第9』の「後の祭り」感を除くと、基本的に超シリアスで、ダークです。

そのシリアスさは、『序』『破』とは一線を画します。

クラシックの作曲家(イギリス)で例えるなら、それまではウィリアム・ウォルトン風、『Q』はベンジャミン・ブリテン風です。実際、ブリテンの合唱曲によく似たサウンドの箇所も出てきます。なんとなく闇属性です。

次回以降、そうした曲に焦点を当てて考えていきたいと思います。

2016-01-25 19:06 | カテゴリ:アニメ音楽

さて、今回からは『Q』になります。

2012年初冬。忘れもしません。
2009年の『破』と同じように、公開初日に行ったと思うのですが、劇場を出た後のテンションは真逆でした。

「んなんじゃこれゃー!!」

という心の叫び。多くの人が同じ驚愕を感じたことでしょう。

エヴァらしからぬ『破』でのご都合主義的展開の反動が、Qに全て降り注いでいます。悲惨です。とてもエヴァらしいです。

全体的なこととして、まず新劇場版は「碇シンジ」の物語であることを、意識せざるを得ないですね。

旧TVシリーズでは、彼は「舞台装置」に近かったと思います。
そのせいで、世界観に惹かれこそすれ、主人公の境遇に共感こそすれ、彼に感情移入する人は少数だったのではないでしょうか。大多数は「なんだこの主人公」「シャッキリせーや鬱陶しい」というフラストレーションを抱いて、遠くから俯瞰していたと思います。

ところが新劇では、彼はちゃんと主人公をしています。残念ながら英語で言うヒーローという主人公ではないのですが、物語の中心軸として描かれています。これが、新劇場版と旧シリーズを分ける一番大きな要素だと思っています。

『破』では、観客はシンジに対して応援し、労い、認め、そして思わぬ成長に驚かされたと思います。

『Q』では、「…なんかおかしくね?」「…嘘だろ?」「夢なら覚めてくれ」「…なんとかならんのか」「元に戻してくれ…こんなの間違ってるよ」という感情を、シンジとともに観客は追体験したと思うのです。

では、そうした物語に対して、音楽はどうだったでしょうか?

…なかなか一言でいうことが難しいのですが、全体として

「ダークでシリアスな、重い印象を持っている」
「音楽が物語の進行を支えている」
「今までに比べ、より音楽の主張が強い」

ということが言えると思います。
実際、音楽はロンドンで3年かけて収録され、かなり力の入ったものとなっています。

サウンドトラックの動画では、「Qはイマイチだったけど、曲が凄かった」なんてコメントなども散見します。
Qにおける音楽とは何だったのか。

次回以降、詳しく見ていきましょう。
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