2016-07-30 18:50 | カテゴリ:未分類
EVANGELION STORE で、シン・ゴジラのサウンドトラックを注文しております。

昨夜、発送のメールが来たので、到着し次第、今回の劇伴のより深い分析に入りたいと思います。

乞うご期待!
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2016-02-08 15:41 | カテゴリ:未分類

ここのところの記事の内容が、急に数学の授業みたいにカチコチしてきたので、少し立ち止まって考えてみましょう。

「そもそも、音楽に数学を見出すことに、意味はあるのか?」

という問いです。
「意味があるのか?ないのか?」という問に対して、「ない」と答えることは無謀なことなので、何かしらの意味はある、としておきます。

もう少し具体的な問にしてみましょう。
「数学は、音楽の享受をより良くするのか?」

この問に対しては、筆者は「必ずしもそうではない」と答えます。

しかし、「数学は、音楽の享受をより深くするか?」

この問に対しては、筆者は「そうだ」と答えます。

「音楽」というものを「音の体系化」と捉えるならば、音楽と数学は切っても切れない縁にあります。

古代ギリシャの数学の巨人「ピタゴラス」は、数学の研究のかたわら、音の「協和音程」と「不協和音程」の違いを解き明かしました。2つの弦の長さが単純な「整数比」であるほど、音は協和するということです。

音楽は数学的な調和を持っているから美しいのです。

しかし、こんなことは知っていようがいまいが、耳で「協和」か「不協和」かは、直感的に理解できるのです。
音が空気の微細な振動であることを知らなくても、その波がサイン波なのかコサイン波であるかを知らなくとも、人間は直接、音の印象として聴き分けられます。

だからといって、音楽を単に「心地良い」「耳障り」「うまい」「へた」「テンション上がる」「悲しくなる」…といった簡単な言葉だけでは、音楽を理解し、語るのは難しくなります。

その音楽がどうやって出来ているのか、なぜ良いのか?という理解と、さらなる語らいのためには、「数学という言葉」を持っていた方が有利です。

音波の分析にも使われる「フーリエ変換」などで有名なフーリエの言葉に、こんなものがあります。

数学は、われわれの感覚の不完全さを補うため、またわれわれの生命の短さを補うために呼び起こされた、人間精神の力であるように思われる。

これを音楽に当てはめてみましょう。

音楽は、人間の感性に直接訴えるという尊いものではありますが、人間の感覚というものは不完全で、個人差があり、偏っているものです。
音楽は「普遍的であること」によって、価値が高まるというという側面もあります。
その「普遍性」の代表格として、「数学」があるのです。

数学の歴史は古く、そこから着実に、発見と発展が積み重ねられ、今では人類の最も大きな財産となっています。
あらゆる分野の学問が、数学の力を借りてさらなる進化を遂げています。

数学は音楽を囲い込む「鉄の牢」ではなく、音楽のさらなる進化の「土台」になり得ます。

その土台から、人間の感性はさらに飛躍し、花開くのです。

自分も数学に強い人間ではないので、これから少しずつ勉強していきたいと思います。

2016-01-25 17:52 | カテゴリ:未分類

YouTube、ニコニコ動画における「MAD」というスタイルの二次創作動画の投稿が流行して久しい。

MADとは、1曲の音楽(たいてい原作と無関係)を選び、その上にアニメ(or映画)作品から切り貼りした映像を流すタイプの動画だ。

その原作には、舞台となる世界があり、ストーリーがあり、それらをつむぐキャラクター達がいる。
そしてその中の時間の流れは、(不可逆ではないにしろ)唯一無二である。
それが、その作品の一定の「情報」となる。

しかし、その「情報」は同じなのに、「印象」が変わってしまう場合がある。

MADとはそのいい例だ。
「原作の製作側が意図していない音楽」
「原作の時系列を無視した、映像の切り貼り」
などによって、その原作の印象はガラリと変わる。

もしMADに使用された、どこかのシンガー・ソングライターのとある曲が、原作の雰囲気に合っていたり、その世界観に近い歌詞を含んでいた場合、その原作の世界観は拡張される。
音楽によって違う角度からものが見えるため、より原作の世界に踏み込むということが可能になる。
「あるMAD動画を見て、原作にハマった」という例も多くあるのだ。

……

一方、ギャグ色の強いMADでは、原作の世界観をぶち壊しに掛かることもある。

ニコニコ動画では、「こち亀BGM万能説」という検索タグがつけられた動画も多い。

どんなシリアス作品の切迫したシーンでも、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のドタバタコメディなBGMをそこに流してしまえば、それはコントにしかならないのである。

「BGMの大切さがわかる動画」というタグも存在するが、要するに映像と音楽の、本来あるべき調和を崩された時、初めてBGMの仕事が大きく意識されることを示している。

いずれにせよ、音楽という聴覚情報は、動画という視覚情報に、量では劣るものの、質では優っているのである。

だから、このブログでは、そうした「眼に見えない仕事」を取り出すことで、より作品の創意を楽しめるようにしていきたい。


2016-01-09 20:30 | カテゴリ:未分類
世界は謎で満ちている。

…というより、人間の知性と知識が世界を照らすことは、もともと難しいことなのである。ほぼ、不可能と言って良い。

…だからといって、自己の知性を、そのときの気分や、世間一般の常識、他人の尺度に委ねて満足してしまうと

 そこに悲劇は起こる。そしてそれは、眼に見えない悲劇の連鎖を生む。


世界は悲劇に満ちている。

…その悲劇に向かい合うのは、さらに難しいことだ。おおよそ、無理なことのように思える。

…だからといって目を背けたり、逆に解決を試みて、同情し、みだりに手を差し伸ばし、悲劇をモノとして消費してしまうと、知性を曇らせることとなる。そしてそれは、さらなる悲劇を生むのだ。


人間の本質もまた、悲劇的な性質で満たされている。

生きるということは、この悲劇にどのような形で立ち向かうか、という絶え間ない挑戦なのである。


                    ……Miyuh Kawanishi


などと、お堅い感じの導入となりましたが、このブログは要するに、
自身がこれまで触れてきた表象と、それに対する自身の見解を考えていくことで、
文化の振興を通じた世界平和へと繋がって行けばいいな、という願望によって支えられています。

CHIMERATA(キメラータ)は、「キメラ」と「カメラータ」の合成語です。
ものを一元的または二元的なものとして考えず、多くの視点から解釈していこう、という姿勢を表しています。

更新は不定期ですが、コツコツぼちぼち書いていきたいと思います。
ご意見ご感想は、お気軽にお申し付け下さいませ。